くまちゃん

ジャスト 6.5 闘いの証のくまちゃんのネタバレレビュー・内容・結末

ジャスト 6.5 闘いの証(2019年製作の映画)
3.8

このレビューはネタバレを含みます

現在アフガニスタンは世界最大の阿片とヘロインの生産国である。その割合は世界の生産量の8割を超える。戦争や貧困といった地獄から目を逸らせるために薬物に手を出す者が後を絶たない。
イランはアフガニスタンに隣接しており、当然のように薬物が流入してくる。
イランは薬物流通ルートであり滞留地域でもあるのだ。

薬物撲滅チームを束ねるサマドは粗野で野蛮で暴力的、女性の人権問題が度々取り沙汰されるイラン社会におけるマッチョイズムの典型と言える。
サマドの持つ凶暴性は時に売人の嘘を暴き、時に仲間を敵にする。

麻薬組織の元締めナセルは狡猾で知的で残虐的。その一方で子供には情を掛ける意外な一面がある。これは辛酸を嘗めた幼少時代の経験がそうさせている。

前半はサマドが麻薬組織を追い詰めていき、ナセルまでたどり着く。
だがそれで終わるほど単純明快な問題ではない。この闇は歴史的に見ても地政学的に見てもとてつもなく深い。

後半は一転して収監されたナセルへと焦点が移動する。
ナセルにそれほどの悪意はなかった。
薬物によって数多くの貧困に喘ぐ者たちが中毒になりしまいには死亡した。
それなのにナセルに罪悪感は見られない。
なぜか?
かくいうナセル自身もスラムで育った。
ナセル自身貧困の苦しみも財力のありがたみも痛いほど理解していた。
親に立派な住まいを与えるため、愛する甥や姪を留学させて最先端の教育を受けさせるため、生きるために金が必要だった。
まともな教育を受けられず、来る日も来る日も泥にまみれゴミを漁りながら生活していたナセルには普通の仕事につくのは困難である。
ナセルは道を踏み外したのではない。
生まれ持って一本の道しか選択できなかったのだ。
一番身近なのが薬物。ただそれだけだった。

サマドを演じたのはペイマン・モアディ。「別離」での演技が世界的に評価されたイランの紛れもないスターである。

ナセルにはナヴィド・モハマドザデー。
こちらも主演作「No Date No Signature」がヴェネチア国際映画祭で高評価を得た名優である。

主演2人の舌鋒鋭い怒鳴り合い罵り合い、速射砲の如く舌端火を吐く言葉の応酬は聞いていて清々しいものである。
さらにその暴力的な言葉のせいで、直接的な暴力はほとんどないのにも関わらず観客は終始暴力に晒されている錯覚を受ける。

冒頭のガサ入れでの場面。容疑者が逃走しそれを追走し、その果の結末。
ここだけ見ると不条理な短編映画になりそうなほどロジカルでサスペンスフルでドライ。今作の大まかな指針を象徴しているようにも見える。

ナセルは家族を愛し、また愛されていた。現実は厳格で冷淡。その足取りは重い。一歩、また一歩と処刑台に近づいていく。
タイトル「ジャスト6.5」の意味するもの。それも含め検閲が厳しく閉鎖的なイラン社会と薬物により退廃的な生活に身を沈める民衆、その行く末を暗示しているかのようなラストから目が離せない。
くまちゃん

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