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ジャスト 6.5 闘いの証のpotatoheadのレビュー・感想・評価

ジャスト 6.5 闘いの証(2019年製作の映画)
4.0
麻薬王のナセルは、暴力による権力で売人たちを締め付け、大量の麻薬を国内で流通させる悪人だが、女子供は傷付けないというポリシーを持ち(といっても流した麻薬で間接的に破滅する女子供は数多いるだろう。現に罪を子になすりつけようとする末端の売人と、更生施設に送られる少年が描写されている。)、後半では家族に対して良い暮らしをして欲しいという思いや、愛した女性への想いを繰り返し述べる等、しばしば感情的な様子を見せている。一方、警官のサマドは高圧的で麻薬犯罪を容赦なく取り締まるのかと思いきや、贈賄や麻薬の横流しに手を染めており、部下のハミドも子を殺された憎悪一色と思いきや、自身のキャリアを気にして保身に余念がない。つまるところ、どの個人も一元的な見方では捉えられない複雑な事情や立場があり、単純な善悪の構図に落とし込んで理解することは不可能。警察も売人も理解し合えず、末端では多くの人が傷付いたり死んだりするが、貧困、麻薬といった社会問題はそうした個々人の事情などつゆ知らず雪だるま式に増幅していくのであり、そんな状況こそが"Just 6.5"なのである。(ラストシーンでは、幹線道路を無数に走る車を、数十人の捜査官が走って追いかけ検問をしようとしている様子がフェードアウトしながら映されるが、これはまさにそうした状況の象徴的な表象である)本作品はそうした状況をさほど贔屓目なしに提示しており、それはスラムや留置場のモブたちの凄まじい画力と合わさってなかなかのカオスっぷりであった。
また、私はペルシャ語わかるイランの友達と一緒に本作品を鑑賞したのだが、友人曰く日本語の字幕は最低限の言葉の意味しか表しておらず、細かいニュアンスの漏れが多々あると指摘していた。
例えば、売人の子供が医師に対して抗弁する場面では、日本語字幕が「父(売人)はならずものじゃ無い」となっていたが、ペルシャ語では「お前(医者)の親の方がならずものだ」という意味らしい。無学で粗野な少年が医師にこうした言葉を吐く事象は、より両者の根深い懸隔、すれ違いを表していると思うが(イランでの医師の社会的地位は日本と比べても更に高いことも付記しておく)、日本語字幕ではそうしたニュアンスがドロップしている。そもそものイランと日本文化の違いも含めて、日本人である私には容易に理解し得ない事項がたくさんあることも付け足しておく。そういう部分はあれど、一度観てみることをオススメしたい作品。
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