せいか

ラ・ジュテのせいかのネタバレレビュー・内容・結末

ラ・ジュテ(1962年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

02/13、youtube上で期間限定で公式配信されていたものを視聴。大塚明夫氏が吹替を担当し、全編ナレーションしていた。

1960年のフランス発の一風変わった短編SF映画で、本編はとにかくずっと一種のスライドショーとして視覚的な情報面は展開する(「フォトロマン」と命名しているようだ)。そうして切り替わっていく画像の背後をひたすらものごとを説明する語りが音声情報としてあるという感じ。
内容は、近未来、WW3によって荒廃したパリで人々は放射能から逃れてディストピアな生活を繰り広げるようになっている中、科学者たちはタイムトラベル技術を開発することで救いを得ようと画策している。この実験によって白羽の矢が立った人間の一人である主人公は、たまたま、過去のある一点に強烈な執着を抱いていたことでタイムトラベラーの才能に目覚めており、唯一の実験成功体として活躍していくことになる。彼は過去に干渉し、未来に干渉しととにかく活躍するものの、最後は、その強烈な執着の起点となった、空港で見た女とそのそばで突如死んだ男に帰結し、自分がこの女に駆け寄ったそのときにまさに自分自身が殺されていたのを過去の自分は目の当たりにしたということが分かったのだった──みたいなもの。
内容的にはそんな感じでややツッコミたいところはあるけれど、本作の面白いところは映画として実験的な試みをやっていることだと思う。先に書いたように、スライドショー的に視覚情報を処理して語りで物語を説明していく(短編映画ででもなきゃやれない、尚且つ、小さくまとまったSFだからできているというのはあると思うが)。
タイムトラベルの才能として開花するためにはある一点に(少なくとも主人公は)強烈な執着がなくてはならなかったけれど、それこそがタイムトラベルをするために時間の間隙を狙うという方法を矛盾させ、ついにこのエンディングに収束するのだというのは、いろいろ定石なことを踏まえつつもなかなか美しささえあるまとめ方だと思う。
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