BUSSAN

ラ・ジュテのBUSSANのレビュー・感想・評価

ラ・ジュテ(1962年製作の映画)
4.6
【僅か30分で味わえる無限の余韻】


U-NEXT様!!
ありがとうございます!!
ずっと見たかったのが、まさか配信されていたとは!

神様!仏様!U-NEXT様!!


てな調子でレビュー始めます。


本作を一言で表すと言うと…

【フレンチSF仕立てのボラギノール】です。


はい、割と真面目にそんな感じです。

30分とかなり短い映画ですので、あらすじは割愛しますね、この僕のぽんこつレビューを読む暇があったら先に見て欲しいレベルです(笑)

この映画が特殊なのは、動画ではなくモノクロのスチル写真のみで構成されているんですよ。

後から調べましたが「フォトロマン」と呼ばれる手法らしいですが、難しいことを抜きにすれば、【モノクロのボラギノールのCM】やと思ってもらえれば想像し易いですわ。

更に登場人物のセリフらしいセリフが一切なく、男のナレーションと音楽のみ。

それが30分という短尺に収められてます。


SFなのに静止画!?
そんなのホンマに面白いんか!?


何を言うてますねん!
めちゃくちゃ面白いがな!!


【静止画】と【SF】の組み合わせって実験的やけども面白いんですよ。

僕は学生の頃、カメラを少し齧ってたのですが、やっぱり写真の面白さは、【見る人に想像を委ねる】ことやと思うんですよね。

例えば、何も聞かされていないまま、1枚の写真を手渡されて、そこに「泣いているオリンピック選手」が写っていれば、「なぜ泣いているのか」「悲しくて泣いているのか、嬉しくて泣いているのか」と見る人によって色んな考えが出てきますよね。

もちろん映画なので、独立した写真ではなく、連続しているし、ナレーションも入るけども情報過多ではなく、あくまでも進行役に徹してくれてます。

画に動きがない分、余った思考を他に回せるんですよね。

【静止】という説明が省かれた制約のお陰で【想像力】が試されるみたいな、そんな感じ。

ほんでその静止画とSFの組み合わせの何処が面白いかと言うと、SFって【空想科学】って邦訳されたりするやんか、それって静止画の【想像させる】のと似通ってると思うんです。


もし、この作品が静止画ではなく、本来の映画の在るべき姿、つまり動画で制作されていれば、ここまでの余韻を僕に残すことは無かったであろうと思ってます。

きっと監督は意図的に "敢えて" そうしたのだろう。

この映画は【記憶】がテーマなんやけども、静止画つまり写真もある種の【記録】なんですよね。

更に言えば【記憶】も【記録=写真】も、【時間】によって【色褪せていく】んですよね。

その【時間】はこの映画のもう一つのテーマにもなっているんです。

ここまでの繋がりを考慮すると、やはり予算的な問題ではなく、監督は "敢えて'' 静止画で撮るという選択をしたに違いない…


金が無いからという経済的な問題ではないはず…
そうであってくれ…


『男と女』(1966)のレビューの時のような裏切りはやめてくれ…



現代のSFって、CGありきで金掛けて、如何にど迫力に撮るかみたいな土俵で相撲とってる作品ばかりやないですか。もちろんそれもええんですけども。

でもこの作品はそれに逆行してて、アホみたいに低予算で撮られてますねん。(町山氏によれば現在の価値にすると70万円らしい)

この作品が公開された1962年にはCGがないのは当然ながら、SF映画のくせに大掛かりな舞台装置は一切使わず、むしろ物語以外にSF要素がほとんど無いと言っても過言では無いぐらいに典型的なSF映画の枠組みから外れているんですわ。そこもまた乙ポイントですねん。


で、その素晴らしい静止画を引き立てる音楽と、淡々としたナレーション…

なんと詩的な映画なんや!!
びゅーてぃふぉー!!


僕が敬愛する押井守がこの映画の虜になって学生の時に齧り付くようになったそうですが、その気持ち…

痛いほど分かるでー!!!


割と有名な〇〇という映画の元ネタになってるんですけども、言ってしまうとネタバレっぽくなって楽しみ半減なので敢えて伏せておきます。


とにかく長文&駄文で、これ伝わらんやろって感じですが…分かりやすく2文字にまとめて言うと、


【見て】ってことです。
BUSSAN

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