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スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホームのtockytockyのネタバレレビュー・内容・結末

4.6

このレビューはネタバレを含みます

賛否両論はあるだろうが、本作はヒーローのあるべき姿を再提示した意欲作である。

テーマとして色濃く反映されていたのは「救済」だ。それはヴィランに対してであり、シリーズ過去作に対して、そしてアメリカという国が現実にとるべき姿勢の比喩として、他者への救済という実に古典的なテーマに立ち返った。

どこまで計画していたのかは不明だが、ホームシリーズがティーンという未熟な年齢設定だったのにもこれで合点がいった。「全てを救いたい」などという世迷言は、大人となってしまった私にはどこか青臭く受け入れ難い駄々のようにも聞こえる。

しかし元を正せばヒーローというのはそういう無茶な存在ではないか。あり得ないからこそ清く尊いのだ。サムライミ版以降、アメイジングを経て20年もの時を経て辿り着いた帰結、無垢な少年の叫びなのだとすれば、それは素直に受け止めるべきだろう。

そして何より異なる3シリーズの主人公を共闘させるという離れ業には度胆を抜かれた。まともなプロデューサーであれば失敗の恐れや障害が多過ぎてやろうという気すら起きないはずだ。

もちろんスパイダーバースという布石が打ってあったことと、MCU参戦という幸運が重なったというのはある。多次元宇宙という概念がエンタメに浸透したのもここ十数年のことだろう。やるとしたら正に今しかないというタイミングだ。成立するだけの素地はできあがっていたわけだが、それでも恐れ入る。

個人的にはアメイジングが救われたのが大きい。MJ救出にはグッとくるものがあった。他にも多くの見所やポイントがあるが、打ち切りという憂き目にあった過去作はもとより、往年のファンが救われたであろうことに涙した。

脚本は実にオーソドックスな運びだったが、それが却って結末を際立たせた。2010年代のヒーロー映画は、ある種異常ともいえる「共闘」がトレンドであった。本作もご多分に漏れず1人じゃない、恋人と分かち合える仲間がいるという方向に展開するが、最後にある決断をすることで孤独に戻ってしまうのだ。これを皮肉と言わずして何と言うだろう。

ティーンならではの甘い願い事をした代償ともとれるが、救済とは自己犠牲であるというヒーローの孤独な本質を見事浮き彫りにした。

MJとの関係も「親愛なる隣人」から静かに再スタートというのには胸が締め付けられる。希望はあるのが救いだが、お似合いだっただけに幸せに終わって欲しかったというのは欲張りか。

MCU参戦自体が奇跡的だったので、離脱はあんまり気にしないことにするのが吉だろう。

切なくも満足のいく娯楽大作だ。
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