るるびっち

スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホームのるるびっちのレビュー・感想・評価

4.5
満員の劇場で観れば、歓声やどよめきで素晴らしい映画体験だったろう。残念なことをした。

キャラとして、トム・ホランドはおしゃべりで考えが浅い。
おしゃべりキャラのせいでストレンジの魔法を邪魔してしまい、マルチバースからヴィランが大勢やってきた。
マルチバースで複雑な話に見えるが、テーマとしては単純で一貫している。

スパイダーマンの主張は殺すのではなく、悪から解放して助けること。
道徳的だが非現実的な、無謀な正義感だ。
たった1人でも手を焼くヴィランなのは、過去作を観れば解る。
それが5人も居るのだから・・・
面倒なので、「殺されるのも彼らの運命」とストレンジは割り切る。
大人の常識に当てはまらない幼い正義。しかし、それこそが『スパイダーマン』の存在理由である。アイアンマンなら考えないことだ。

最初のアンチテーゼを担うストレンジと主張で張り合う。
『十二人の怒れる男』のような対話映画なら会話で主張する。
アクション映画なので、アクションに転換している。
それが箱の取り合いだ。
スイッチを押せば殺せる便利な箱を、「殺す」派のストレンジと「助ける」派のスパイダーマンが奪い合う。
ストレンジの空間変容魔術と、スパイダーマンのすり抜けアクションが相まって楽しい映像体験だ。
優れたアクションとは、究極の哲学を会話ではなくアクションの形に昇華することだと思う。

2番目のアンチテーゼは、スパイダーマンにとって最愛の人に降りかかる悲劇だ。悪人救済にこだわったせいで悲劇が起こる。
ヴィランの中でも、人助けをスパイダーマンに強く思わせた男。よりにもよって、そいつが裏切る。皮肉が効いている。
スパイダーマンはその悲劇によって、自分の考えの甘さを痛感する。
そしてここで、「自分たちも大切な人を亡くしたけど、前に進まなければいけない」と彼に共感して諭す意外な人物が現れる。
世界一、彼に共感できる人物たちだ。
このアイデアが、マルチバースを最大に生かした部分だろう。

再度、悪人救済という困難な命題を乗り越えようと奮闘する。
ヒーローといえど、ただ悪人をぶち殺せば良いという時代ではないのだ。
童話の『桃太郎』も、鬼を反省させるだけで殺さない。
『赤ずきんちゃん』の狼は、以前のように腹を切り裂かれることはない。反論もあるだろうが、これが時代の変化だ。

マルチバース設定で非常に複雑な脚本に見えて、実は「殺す」か「助ける」かの二択でずっと話が進む。
スパイダーマンの正義に関する哲学を、浮き上がらせるように明快に単純化された脚本だ。

最後のアンチテーゼ。
悲劇を起こした元凶のヴィランには流石に怒りを抑えられず、殺そうとするスパイダーマン。
アクション映画なので、やはり台詞よりもアクションで・・・身を呈して訴えるのだ。
自分自身が。
スパイダーマン自身が。
ここがマルチバース!!
スパイダーマン自身というのがマルチバースの妙。
彼は己の分身だ。もうひとりの自分なのである。

今回のメイン・テーマは『スパイダーマン』全体のテーマである、
「大いなる力には、大いなる責任が伴う」ということではなく、ずっと一貫してトム・ホランドがこだわっている、殺すか助けるかである。

「助ける」という選択を何度も何度もアンチテーゼで叩きのめされながら、最後まで自分の主張を貫くのだ。
メイン・テーマが貫かれた先に、色々なサブ・テーマが浮かび上がる。
その一つが「大いなる力には、大いなる責任が伴う」であり、
大人として成長したスパイダーマンであり、
セカンド・チャンスである。
MITへの再入学もヴィランたちの救出も、スパイダーマンたちのアップデートも、振り返ればセカンド・チャンスで纏められた作品である。
だからラストも悲しいのではなく、セカンド・チャンスとして新たな一歩を踏み出したのだと捉えている。

結果、ヒーローは孤独に見えるかも知れない。
それでも鏡のように沢山の世界があり、それぞれの世界で多くのヒーローが支えている。
孤独でも孤独じゃない。
それを感じられるのが、今回のマルチバースの一番の意義だろう。
るるびっち

るるびっち