ラウぺ

ファースト・カウのラウぺのレビュー・感想・評価

ファースト・カウ(2019年製作の映画)
4.0
1820年代、毛皮を集めるために狩猟を行いながらオレゴンに向かう一団に料理人として加わっていた“クッキー”・フィゴウィッツは、同じく狩猟を行うロシア人の追っ手から逃れてきた中国人のキング・ルーと出逢う。ルーを匿い、逃走を手助けしたクッキーは砦に着くと狩猟者の一団と別れ、バーでルーと再会する。ルーの家に案内されて同居をはじめたクッキーたち二人は、地域でまだ1頭しかいない牛からミルクを盗んでドーナツを作ることを思いつく・・・

映画の冒頭、物語はいきなり1820年代ではなくて、現代の川辺で犬を散歩させている女性が2体の白骨を発見するところからはじまる。
この白骨が誰なのかはもちろん観てのお楽しみ?だったりするのですが、物語は非常にゆったりとしたペースで淡々と進み、あらすじから予想される展開のとおりに進行します。
ケリー・ライカートの映画はこれが初鑑賞なので、こうしたスタイルだとは知らずに鑑賞しましたが、描かれる要素の少なさにちょっと驚きを覚えます。
人の牛からミルクを盗んで生業とするというのは要するにコソ泥と同じであり、それが後の災いを引き起こすことは容易に想像がつくのですが、もちろん物語はそのように進行する。

そもそも、地域で最初の牛ということは、当然それをこの地まで運ぶことには相応の苦労とカネがかかっているということであり、実際に一緒に来た雄と小牛は途中で死んだとのこと。
牛のオーナーである“仲買人”(トビー・ジョーンズ)は地域の顔役として村長のようであり、二人がミルクを盗んでいると知らずに二人の作るドーナツの味を絶賛する。
このまま続けるとヤバいことが起きるのは自明で、潮時を見極めることが肝心だと分かっていながらも、商売の元手とするためにズルズルと続けることになる。

腕のいい料理人として人の良さそうなクッキーと思慮深く商売で大成しようとするルーの関係はまさしくバディムービーのそれで、大悪党ではないブッチ・キャシディとサンダンス・キッドといったところ。
人種の違いにこだわりなく二人が良い関係を結ぶところは今風といえば今風ですが、物語然としない自然な流れで二人が盗んだミルクでひと稼ぎするところはなかなか心地良いのです。
案の定ミルクを盗んだことがバレてヤバい展開になってからもこのテンションは変わらず。
作為的なものが何も加えられていない展開は薄味で、ともすると「こんだけ?」みたいな感想に終わってしまいがちですが、味わい深いという以外にも、その“raw=原材料”な感じがさまざまな寓話的要素を含蓄しているのではないか?という行間の含みの大きさがこの作品の大きな特質なのだろうと思います。

開拓時代の西部で貧乏人が商売で一旗揚げようということで出来ることは限られていて、富める者からかすめ取るのが手っ取り早い、というところでは資本主義社会の根本的な大原則の比喩のようでもあり、牛からミルクを盗むという行為自体がそれの比喩的表現であるようにも見える。
また仲買人に多くの富と権力が集中する仕組みは人の世について回る大きな弊害の縮図という気もする。
ミルク泥棒がバレて二人に窮地が訪れるのも因果応報という寓話的な展開ともいえ、逃走中にお互いのことが気になって高跳びできない展開は一種のヒロイズムの表れとして捉えることもできる。
とはいえ、それは物語の余白から滲み出す一種の“気配”であって、観る者が脳内で結実させるかどうかはあくまで観る者の判断によるところでしょう。
あまりに何かの比喩だと捉えすぎるのもこの作品の特質からいってちょっと違うという気もしますし、それを前面に出さないスタイルだからこそ、全体の控え目さが好感度に繋がっているともいえるのです。

薄味で一回観ただけではどのように味わうべきか、いま一つ捉えどころのないような作品ですが、時間が経つにつれ、仄かな味わい深さが改めて振り返りたくなる、なんとも不思議な風合いの作品なのでした。
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