せいか

返校 言葉が消えた日のせいかのネタバレレビュー・内容・結末

返校 言葉が消えた日(2019年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

7.18視聴。レンタルDVD。
原作ゲームプレイ済。


気に入っていたゲームが映画化するというのでずっと気になっていたので観る。
結果からいうと、ゲームをやることだけをお勧めする感じだった、私には。

話は最初からゲームをしている前提というか、していてもしていなくても観られる作品にしているというかで(正直、前者の感じが強い)、ごろっと換骨奪胎しているようなしていないような構成になっている。最初から白色テロの背景がありますよと何か起きましたよでゴチャゴチャするので、ゲームにあった微睡むような、どこか異なる世界、似て非なる世界に紛れ込んでしまったのではないかというような感じは全くない(のだが、たぶんそのつもりで作られてはいる)。
なんというか、現在の台湾でこの内容で映画化することの政治的意味のほうに重きを置きまくった作品というか、ゲームもそうなんだけど、なんというか、なんというか……。とにかく、観ててちょっとしょんもりしましたわね。ゲームでは「さまよう」というフラフラした感じで絡まった糸となっていたものが次第に解きほぐされて明かされていくところにプレーヤーの認識と少女の意識が重なる面白さがあったんですが、こっちはもうとにかく絡まった糸も何もなく、少女が意識しないようにしていたから基本的には確信に至るまではぼやされていた(もちろんその要素は織り込まれているので、ぼやかされていたというと語弊はあるかもだが)白色テロなどの要素も頭からガンガン、それはもうガンガンとたたきつけてきている。
ゲームきっかけに、話題作ついでに、かつての台湾がどんなものだったかの一端を広くいま伝え直そうみたいなことを狙ってたなら成功していると言えるのではないでしょうか。

永遠に煉獄とも言える境界上で輪廻を繰り返し続け、自分が見ないようにしてきたものと向き合っていく少女の話といえたものが、少年の活躍も増えに増えたことで曖昧になっている。ゲームにおいては少年は少女の地獄にたまたま訪れた異邦人ともいえる存在であり、最終的に全てを未来の上にまとめる存在としてあったのだけれど、完全に囚われ人化して救われる存在になってしまったというか。合体させてしまったので、少女の地獄(煉獄)の意味合いが薄れてしまったような気がする。彼はあくまでそこと切り離して未来に繋ぐ存在だったと思うのだけれども。
タゴールの詩の扱いなんかもそうだったけれど、そういう要素を的確に表現するところでしてるかというとそんなことはないなと思った。むしろいろいろ手を加えている分、何もかも印象が薄れてしまっている。先の果てしない輪廻の苦しみにしてもそうだが。
少女が告発に踏ん切るところとか追いつめられているところとかももう少し少女自身に寄り添ってほしかったなというか、とにかく、中途半端の一言に尽きる。ラストのカタルシスというか、誰かの魂が癒されていく感じもとにかく弱い。

映画オリジナルの要素はてんこ盛りなのだが、特にラストに厨川白村の『苦悶の象徴』を持ってきて引用し、作品のまとめとしたところがたぶん大きなポイントになるのだけれど(未来において中年男性となった少年が先生から託された手紙を少女の霊に届けたりもするギミックにも使われている)、こちらはタゴールよりよほど本作では印象を残している。少年の喉から引き出したツルゲーネフの『父と子』のインパクトもすごいが。

たぶん、一個の作品として映画版を切り離せばそれなりにおもしろいのかもしれないけど、その割にゲームありきに寄りかかってもいて切り離せないし、ゲームありきで観れば物足りなさが目立つしと、あらゆる原作付きの作品の抱えるジレンマではあろうけど、なんとも、なんとも……という余韻を残すことになった。

化け物のデザインが顔のところが鏡になっているのはちょっと良かったけど、そこもあんまりしっかりとは生かされないままだったと思う。
オリジナル要素となる周辺人物の言動なんかも(管理人の人とかのあの地獄が地獄を生むシステムを垣間見せるところとか)面白くはあったのだけど、やっぱり全体としてはビミョーにまとまった感じが拭えなかった。

ドラマ版なんぞもあるみたいですが、そっちはどうなのやら。
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