YasujiOshiba

返校 言葉が消えた日のYasujiOshibaのレビュー・感想・評価

返校 言葉が消えた日(2019年製作の映画)
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ネトフリ。23-3。このホラーはよい。オリエンタルな地獄めぐりとして、未来を開いてくれる。未来を開くためには、歴史を振り返らなければならない。そしてこの映画は、今一度、台湾の歴史をおさえておくように、ぼくらを誘うのだ。

原作となったゲームの制作事情についてのインタビューを引用しておこう。「もともと『Detention』のプロデューサーは自分が子供時代を過ごした80年代を舞台としたゲームを作ろうとしました。しかしながら、より前の白色テロの時代に設定したらもっと怖くなるだろうと思いました。圧制が敷かれていて、本当に抑圧的で暗い時代でしたからね。私たちは歴史学者ではないので、歴史を売りにするつもりはなく、ただホラーゲームにピッタリな時代設定を探しただけです。しかし、確かに多くの人があの時代のことを知らないので、ゲームを通じてあのような闇の歴史も台湾の一部だって再認識させる意図もありました」
(https://jp.ign.com/detention/17732/interview/detention)

ポイントは、1947年の「二・二八事件」に端を発する白色テロ時代。まずはこれを復習すべし。侯孝賢の『悲情城市』(1989)を確認しながら、1945年の日本の敗戦以降のアジア情勢を今一度おさらいすることがなければ、ぼくらの目の前には、あの不気味な「新たな戦前」がその姿をみせることになる。それを受け入れたくないのならば、ここに描かれた「オリエンタルな地獄」の霊たちと向き合う必要がある。さもなければ、あの霊たちは「鬼」として「帰」することになるはずだから。

この良質なホラーが開くのは、来たるべき未来のもうひとつの扉にほかならない。少なくとも僕のはそう思える。


追記23-1-11:

 気になったので検索すれば、タイトルの「返校」というのは「学校に帰る日」のことらしい。英語タイトル「Detention」は「居残り・拘束・監禁」のこと。

 ちなみに、detention はラテン語起源の名詞で、語源は動詞 detenere に遡る。この detenere は「剥奪、否定」などを意味する接頭辞「de-」に、動詞 tenere (保持する)が続いたもので、「本来あるべきところから引き離して拘束する」という意味。
 
 もうひとつ「地獄」について。「オリエンタルな地獄」という言葉は、ダンテの「inferno」(地獄)からの連想。生者が地獄めぐりをしながら、死者たちの境遇を目の当たりにし、ついには現実の世界に戻ってくるという話型。日本語では「黄泉めぐり」とでもいえばよいのか。

 この話型でぼくがすぐに思い出すのは、まずはフェリーニの未完作『マストルナの旅』。これはきっちり此岸の縁を彷徨ったマストルナ(Mastorna)は、現実世界に帰ることになる(Mas-torna torna)。似たような話型としては、あちらの世界への移行するときの、彼岸との境界領域を描くものがある。トルナトーレの『記憶の扉』や、日本でも是枝さんの『ワンダフルライフ』。エイドリアン・ラインの『ジェイコブズラダー』なんてのもそうだし、『パッセンジャー』とか『シエスタ』とか、いろいろある。

 そこはまさに夢と現のあわいなのだけれど、この「あわい」において、ぼくらの凝り固まった認識枠組みは揺さぶられ、すこしずつ崩れてゆきながらも、新たに再構成されることになる。まさに物理的・生理学的な動的均衡の現場、それがこの「あわい」なのかもしれない。
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