矢吹

プリズン・サークルの矢吹のレビュー・感想・評価

プリズン・サークル(2019年製作の映画)
3.8
プリズンサークルことTherapeutic Community(セラピューティック・コミュニティ) 略して、TCの紹介になります。
割とストーリー重視なドキュです。
主題と着地がしっかりしとる。
そして、演出として。ドキュメンタリーというには、ちょっと脚色しすぎてた感はある。
2年の交渉の末にたどり着いた、カメラが未踏の世界。らしいので、そこは素直にすごいし、きっと、より多くの人に届けるにあたって、見易いだろうという工夫をたくさん用意してくれているんだろうけれど、作品が軽くなっちゃう部分も事実としてあったんじゃないかい。
少年時代を何度も描く、砂のイメージとか。
あれ、いらないっちゃいらないし、スマホらしきものが登場したのは笑っちゃったな。
絶対に、当時はガラケーだろ。
そんなスマホ案件はあまりに露骨だけど、そうでなくとも、イメージの提示として、彼らの人生との明確なズレってのは生まれるだろうし、完全にあの大切な部分がフィクションに喰われてしまう可能性すらあると思う。
純粋な本物の言葉とか、語る姿とか、せめて当時の写真や映像の断片だけで語られるからこそ、こちらから寄り添ったり想像したりして、彼らの人生に思いを馳せたりすることにとても大きな意味があると感じるからさ。
本来的に、ズレが生まれないことなんてあり得ないんだからこそ、他人が作り出した規定のイメージを提示する必要はないのかなと考えます。
章立てに関しては、入れてもいいとは思うけど、タイトルが違う章で被ってくる感じとかは、かなり邪魔に感じちゃった。
あと、寓話の雰囲気を押してくるのも苦手だった。
そりゃあね、
そもそもドキュメンタリーとは、
一つ残らず、選択された編集されたもんですよ。
それでも描き方とか、姿勢って、色々あると思うんだなあ。
あるんだなあ。

内容は、アメリカでは2006年から取り入れられているらしい、有志の受刑者を集めた、セラピーのお話。罰と償いの意味を考えさせれくれる話。
舞台は、通常の社会復帰のための刑罰の時間をそのセラピーに当てようという試みをしている官民一体型の島根県の刑務所です。
日本ではまだかなり極々、めちゃくちゃ極めて稀な形らしい。
その中で彼らは、自分が犯した罪について、孤独の中ではなく、他者との関わりを通じて、向き合っていくし、向き合わざるを得なくなる。
それでも俺は幸せに死にたいとか。
忘れてしまうことを恐れているとか。
罪の意識の芽生えとか。
被害者の未来とか。
実際の被害者の方々がみたら、どう思うのかな。生温いことやってんじゃねえ。と思う人ももちろんいるだろうな。と感じる部分はもちろんあったけど、
あの活動はほん一部で、それ以外の途方もない普通の囚人生活が待ってるわけだし。
罪に対する罰って、彼らの時間をただただ奪うことだけにあるとは思えない。
日本では全く普及していないこの罰の形によって、彼らは償いの意味を、少なくともこの作品で切り取った人たちは、ちゃんと考えることができていた。収監当時は、なにが悪いことだったのか理解していないと語る人達もいたなかで、この環境を通して、罰のその先の償いを想像していた。
一番怖しかったのは、むしろほかのところは私語完全厳禁らしいということ。
前述したような罪の意識のない人が、そんな孤独の中で、本当の意味で償いについて考えることなんてできるのか。
そう考えると、罰にはたくさんの重さがあって、しかるべきなんだけど、本質的な多様性も、もっとあってもいいんじゃないのかな。
償いとしての罰、奪うだけの罰もあって、
償いに向かうための罰、教育としての罰もある。
罪に対して、何のための罰であるべきなのか。
これは法律上だけにとどまらない大事な問題だと思う。 
現に、今回、焦点が当てられた4人の青年受刑者の全員の共通項は少年時代に親から虐待を受けていたこと。いろんな形の、広義の虐待を受けていた。
そもそも、罪を犯す人が、みんながみんな親の愛情を感じられなかった人なんてことは絶対的にありえないので、この切りとり方自体に問題もあるとは思うけど、やはり今回は物語としてのドキュメンタリーなので、話を戻すとして、
今回の4人は、親から、教育ではなく、罰だけを受けて育ってきたわけですよ。
そして彼らは捕まって、刑務所にやってきた。
そんな彼らになにが必要か。
紛れもなく、同じような罰としての罰ではなく、
教育としての罰なんだと思います。
重要だから繰り返させていただくけども、
その教育が施されるのは、従来の罰に、組み込んでいるという前提です。
彼らは刑期の長さは様々な中で、半年から2年ほどを、TCユニットと呼ばれる居住区で生活をし、刑務作業がない時間帯を使って、週に12時間をその対話に使う。
実際、TC出身者の再犯率は、
他と比べて半分らしい。らしい。
そして、このプログラムを受けられる定員は40人である。もっと普及してもいいと思うけどな。
そりゃあ、この再犯率の低さは、受ける人を選んでる段階にもカラクリはあるに違いないのだが、
シンプルに、刑務所の形として、
償いって、本当に時間をかけないといけないものだし、ただ時が過ぎるだけじゃ、なお意味はないと思うから、こういう時間を罰に取り入れることは大切だと思う。
そしてエンドロールへと向かい、
堂々と自ら宣言するこの作品の主題は、
「暴力の連鎖を止めたい全ての人へ」
概ねこういうことらしい。
この作品の中には、TCを出た人たちのその後の生活もちゃんと描かれています。
彼らは出所した後に、定期的に集まる機会がたくさんあるようです。
参加する全員がうまく生きていけるようになったかというと、まったくそういうわけではない。
まっとうに生きることを楽しむ人もいるし、
再犯と立ち直りの狭間で揺れてる人もいるし、
彼らの中には、あそこで感じたことを時が立つと忘れてしまうと語るものもいる。
人によっては、そういうもんなんだとも思う。
これは仕方がない部分がある。
だからこそ、
あのTCが、そんな、出所後のコミュニティを、居場所を作ってることには本当に意味がある。
何度も言うけど、程度の差こそあれ、9割を超える受刑者に、これがないというのがね。
なくても立ち直れる人もいるし、あってももう一度頑張らなくてはならない人もいるとは言ってもね。
そんなこんなで、演出や物語において、
まじで綺麗な話にしてるなあという感じです。
そもそも、もっと、人間の汚い部分が見たいなと思って足を運んだわけだけど、
そんなものはほぼなかったし、
冒頭の参加者の規定の説明の中で、(重度の精神疾患者は除く)という文言が入っていて、大いにガッカリもしたものだが、
つまりは、この作品は1から100までが、
暴力の連鎖を止める可能性のあるTCの素晴らしさを語る作品なんですよね。
これはこれで勉強になった。

作品から少し離れた話。
ほんとにたまたま、最近の作品選びの中で、直面するんですよ。子供を産むということの罪に。
このままじゃ、恐怖の可能性でしかないわ。
「悪魔の卵、赤ちゃん!」
って言ってみたかっただけです。
等しく、赤ん坊に罪はないはずだからね。以上。
矢吹

矢吹