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坊ちゃん社員のニューランドのレビュー・感想・評価

坊ちゃん社員(1954年製作の映画)
3.6
✔『坊っちゃん社員』(3.6p)『続 坊っちゃん社員』(3.3p)及び『良人の貞操』(3.7p)『加藤隼戦闘隊』(3.5p)▶️▶️ 

周囲、簡単に社長ものを歓迎する多数派ではなく、汎ゆる作品に繰返し目を通し関連文献に精通している、プロ以上に批評眼を磨いてる人たちには、やはり、この作家の戦前の作品に比べては、戦後は殆ど評価されていないようだ。繰返し観て断言してるから困る、そして戦前にしても、姿勢として戦争責任があり·戦後もそこから逃げてる、とかなり否定的だ。だが、無責任な私は、田舎者のせいもあるが、この作家のモダニズムには憧れる。距離は変らずあるにしても。
 今回の特集上映では仕事とかち合ったり·端からなくて見られなかったが、モニターで先の話で聞いたこの作家の最高作とされてた作品を軽く眺める。(窓越しの)横へのパンや移動、仕草や心理強調以上の斜め前後移動、構図の手前の物のナメ方や逆に開け方、表情のやりとり、不遇の親類であり親友を救った筈が、主人公夫婦のオープンさの真実が逆に問われる、スコセッシの最高傑作『エイジ~』ばりの華麗さと真摯さに充ちた『良人の貞操』や、実写と特撮の迫真を超える滑らかさ·勢いと語りの速度·軍人の摂理と気風、全戦争·航空映画の頂点を極めたような『加藤隼戦闘隊』といった所で(しかし、後者に先に述べた人は惚れまくってたようで、しかし、全共闘世代のせいか、許せない風でもあった。「戦後は終わった」から後に生まれた世代には、どちらも基本的に素晴しい)、(一見旧習)恋愛心理·戦闘アクションを代表を物してしまったこの作家なりの、その後の作業はささやかに続いていた気がした。戦後暫くのあり方は逆に泥臭い、誰に対しても鮮やかさ平明なスタイル·素材から離れ、何かを見つめ直す、原点に戻る事だった気がする。
 『ホープ~』『~社員』『続~』三本を並べると、次第にスタンダード·滑らかさへ流れてゆき、戦後のみそぎが済み、戦前地位に、しかしより脇を固めるを任じて戻っていった気もする。『~社員』は、『坊っちゃん』とサラリーマンものを組合せたような作だが、『ホープ~』の作風のハチャメチャさ·反完成度の気風がまだ残っている。キャラがかなり救いがたいか、良さそうに見えても大して役に立たず、またとんでもないない奴らの中で内紛が起こり、隠れてた別の面が出てくる。主人公も全てを切り開く可能性に満ちてる訳ではなく、自分の本質的な限定能力や、上には逆らえない無力感から脱する事はない。タッチも時折の例によっての前後移動や、2回ほどかズームが用いられ、パンやフォローに無理はないが、赴任挨拶廻りも、これまでのように巧み独自な長めの個性あるものには至ってない。直線·垂直的な、人やカメラの動きやカッティング。『坊っちゃん』を意識した内容と、松山ベースの尾道か高知かなんとなくの風土。
 この映画に残る落ち着くまいとする骨っぽさは得難い。あの戦前のモダニストぶり·対抗するにも、確信ある下地を持ってた所からの、敢えての映画王道逆行ぶり。責任をかわせるのに立回るのが嫌で、地方工場に左遷の新人社員。雑用担当扱いや、所長から課長まで自己本位俗物だらけの上司に、反発と目上への従順さ、割り切れぬ、純情さと前後見境なさ。(問うた責任が一人に押し付けられ部分的に)倒すべきと庇うべきが入れ代わり·新たな変な連帯も。女性観は真っ直ぐも、放って置かれず、その縺れ解き難くへ。懸命真面目が、端っこで功を奏す位。煮えきれぬ中にも、手応えも表面と割り切れば少しは、ある。
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 ところが、続編はタッチも内容も、本質で波風立たない、滑らかだが、作者の気骨は薄れがちの、善悪の問いの強さよりも、厄介事の回避の流れが優先してくる。上司たちは、主人公を厄介払いという次元で扱い、悪の膿とは異質の小心者の割合が増してくる。社長視察、現地ヤクザ的大物との事業上契約取付、その馬鹿息子の子分らも使い私的理不尽、取分け·主人公の親友技師の恋人との縁談進め、らが主人公を無心に動かし·また心胆寒からしめるが、礼三郎から志村に代わったせいでもあるが、トップの連中が物分り良すぎ、そっちの腹芸で大きく進んでくは、映画も安定第一で危なさを失ってく、時代や社会の流れの証左と、それへの呑み込まれか。
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