Keigo

雨月物語のKeigoのレビュー・感想・評価

雨月物語(1953年製作の映画)
4.4
溝口健二。
映画の世界に深く潜り始めると、だんだん目にすることの多くなる名前。
日本に生まれ、映画が好きと言っておきながら溝口健二を観ていないなんて、いつまでもそんな鼻たれ小僧ではあかんやろゆうことで、まずは『雨月物語』から。そしたら…


なんなんだこの観やすさは………
ウェルメイドという意味での観やすさというよりも、語りの上手さというか。この人の話しならずっと聞いていたいと思ってしまうような。ものすごく丁寧でかつ、無駄がなく、洗練されていて。複雑で難しいことを頭の良い人が端的に言い表してしまうような、惚れ惚れとしてしまう感覚。

黒澤明の『七人の侍』を初めて観た時の開始数分、いくら昔の作品とはいえ母国語なのにこんなにも台詞が聞き取りづらいもんかねと愕然とした記憶があるが、ほとんど同時期の作品なのにこっちはめちゃくちゃ台詞聞き取りやすいじゃない…!なのに芝居くささは感じないどころか、むしろリアリティがあって。かつての日本の文化や価値観について、その美しさも残酷さも清濁併せ呑みながら描きつつ、日本に限らない人間の普遍的な業までも炙り出していて。気難しい人に気を遣うような、高尚そうなものへの取っ付きにくさは感じさせずに、でも芸術作品としての威厳や風格は保たれていて…この絶妙なバランス感覚。

印象的な構図や美しいカットも多く、中でも驚いたのは源十郎が若狭の幻想から解き放たれて村へ戻り、家に帰って宮木に迎えられるまでの一連のシークエンス。源十郎が宮木の名を呼びながら家の中を探し回って、再び入口に戻ると火が焚かれていてそこに宮木がいる。そこまでぐるっとワンカット。夢か現か、溶ける境界、現実と超現実のあわい。

若狭が霊魂であったと言われても全く鼻白むこともない、登場の瞬間から漂い続けるあの不穏な異物感の表現といい、とにかく終始感嘆させられっぱなし。

唯一時代を感じさせるジェンダー観も、とにかく男がくそしょーもないという意味ではある種現代的とも言える?(生まれ変わったような源十郎の姿が、死者である宮木のモノローグで語られる着地の仕方は別として)

…すごいぞ溝口健二!俄然興味が湧いた!
“観ておかないと”から“もっと他も観たい”に変わりました!
Keigo

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