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雨月物語の傘籤のレビュー・感想・評価

雨月物語(1953年製作の映画)
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原作を読んだので久々に鑑賞。「浅茅が宿」と「蛇性の婬」の2編を元として作られているということがわかってるとまたちょっと違う味わいがありました。なるほどねー、二組の夫婦を登場させて、同時進行でそれぞれのお話を描き、それが二組を対比させる効果になってたんですね。役者の演技が乗ることで原作以上に登場人物の感情がより伝わってくるし、解像度があがった状態で見るのは楽しいなあ。

溝口健二特有の長回しは現作との相性ぴったりで、物語の幻想性を強調する役割を果たしています。特に最後の源十郎が家に帰ってくるシークエンスは見事。廃墟となった家の周りをぐるりと一周して源十郎にカメラを合わせながらパンしていき、ふたたび家の中を映し出したとき、今度は若狭がひとりたたずんでいる。夢と現の境をスーッと綺麗に取り払い、あの世とこの世を繋げたワンシーン。
いぜん観たときはこのラストの場面がもっとも印象に残っていたのだけど、今回観なおしてみてもやはりそれは変わらなかった。派手さはないけれど、ほんとに(映画として)見事なシーンだと思う。

にしても登場する男がろくでもない人ばかりですねー。妻のことをほっといて戦にうつつを抜かしたり、別の女性(怪異)にうつつを抜かしたり。対して女性はそんな男たちに振り回され、身を落としていくことになるわけで、現代のジェンダー観に照らし合わせて見てみると余計にしょうもねーなと感じます。でもねえ、なんででしょう。この男たちのことが私はどうしても嫌いにはなれません。弱さも含めて非常に人間くさく、過ちを犯した後はなんとか真人間に戻ろうとする彼ら。言ってみれば「普通」なんですよね。普通の人たちの運命が少し変わる話。そういう点がこの映画を普遍的なものにしているのでしょう。

脚本、演出、俳優の演技などすきがなく、深く心に残る作品です。
たぶん10年後に見たらもっといろんな部分に胸打たれるんだろうな。20年後に見たらもっともっと。
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