ずどこんちょ

野球少女のずどこんちょのレビュー・感想・評価

野球少女(2019年製作の映画)
3.3
1996年の規約改定でようやく女性もプロ野球選手になることができるようになった韓国。しかし、女性がプロ野球選手になるための壁は規約では乗り越えられないものがありました。
野球部に打ち込んできた主人公のスインもまた、高校卒業後の進路はプロ野球選手になることのみ考えていました。ところが、監督も母親もスインには無理だと決めつけています。

それが実際、社会の感覚なのだと思います。果たしてプロ野球選手として名を挙げて活躍している女性選手がどれほどいることでしょう。
筋肉量の差でどうしても男性選手と比べて球速が遅くなってしまう。だから女性選手はプロ野球でなかなか通用しない。
野球界にもこういった固定観念的な差別意識が根強く残っていたのです。

でも彼女だけは諦めません。
幼い頃から野球に打ち込み続け、無理だと思われていた高校の野球部にも、父親が土下座して交渉し、現役部員として活躍し続けてきました。高校卒業も目前に迫っているのに、スインは受験や就職など進路のことは一切準備していません。スインには野球以外の未来が見えないのです。

「私の未来は誰にも分かりません。私にさえ」
スインは新しく野球部に入ったコーチのジンテに思いを伝えます。女性選手がプロ野球で活躍することは無理かもしれないと頭では分かっていても、実績を残してきた以上、諦めきれないのです。
それはスインが、確かな練習量と実力で自分に自信を持っていたから。「男性だから、女性だから」といった物差しで自分のことを図れなかったのです。

そこで彼女の本気を買ったコーチは、速球にこだわっていた彼女をナックル投手に変えるという大胆な方針を示しました。
速球という短所を補っても、速球を長所としている男性選手には負ける。
ならば、彼女の長所である回転数を武器にして伸ばそうというのです。
なんという逆転の発想。スピードをつけたボールを筋肉量の差から投げられないのであれば、打たせない球を投げれば良いのです。
ピッチャーの本質は、豪速球で魅了することではなく、相手に「打たせないこと」なのだから。

主演は「梨泰院クラス」で代表シェフのマ・ヒョニを演じていたイ・ジュヨンです。力強く、芯の通った目をしている彼女にはこの役はピッタリだと感じました。
本当は悔しくて悔しくて仕方がないことばかりなはずなんですが、スインは悔し涙で泣きじゃくるような姿を見せません。
そんな時間があったら朝早くに起きて夜遅くまで練習に励みます。
幼馴染のジョンホはスインの実力を知っています。少年野球の頃から野球を続けてきたのは、スインとジョンホの二人だけだったから。それなのにプロ入りの声がかかったのはジョンホだけ。ジョンホもまた、スインとの差が性別だけであることを歯痒く感じているのです。
きっとスインもその差を痛感して悔しかったに違いありません。それでも彼女はまた前を向いて、バッターを打たせない投手になるべく練習に励むのです。
イ・ジュヨンのまっすぐ前を向いて生きている姿勢が、相変わらずカッコ良かったです。

本作ではスインの他にも悔しさを噛み締める女性たちが登場します。
スインの友人は仲間たちとダンスの猛特訓を重ねたのにオーディションではダンスも歌も観られることなく、顔だけで落とされてしまいます。「むかつく」と漏らしていましたが、悔しさはそれだけの熱量ではなかったはずです。
トライアウトのテストで、スインと同じくバッターボックスに立ってチャンスを掴もうとする女性選手もいます。彼女もまたこれまで悔しさをバネに練習してきたらしい。初対面なので背景は分からずとも、同じ立場で同じテストに臨んでいる彼女とは不思議とお互いにシンパシーを感じたことでしょう。

そしてもう一人、どうやら過去に自分の人生を捨てたらしい女性が登場します。
スインの母親です。スインの父は無職であり、資格を取ろうと焦った末に不正に手を染めて警察に逮捕されてしまう頼りなさがあります。そんな父の経済状況であるがゆえに、スインの母は昔から家計のことばかりを考え、窮屈な思いで生活していたのです。
贅沢は禁じ、彼女も一家を食べさせていくために働きながら家事を回していました。おそらく彼女も様々な自由や人生を放棄してきたのでしょう。

だからこそ、娘には苦労をしてほしくないと願っているのです。
プロ野球選手になるというスインの夢を応援しきれないのは、それが彼女には非現実的な夢であるように聞こえるから。母はスインにもっと現実的で地に足のついた職に就いて食べ物や生活に困らない人生を送ってほしいと願っているのです。
高校卒業の時点でプロから声が掛かっていなのだから、夢の時間は終わりです。母は無理にでもスインを定職に就かせようと斡旋し、大喧嘩になった時には大切なグローブも燃やしてしまいます。

しかしやはり、それは親のエゴでしかなかった。「夢を諦めろ、お前にはできない」と言われて諦められるような信念でスインは野球を続けているわけではなかったのです。
彼女のトライアウトを目の当たりにし、選手たちから拍手を送られている姿を見た母は、自分の物差しで娘から将来を奪おうとしていたことを恥じます。
そして、彼女に「私が間違っていた」と謝るのです。
経済的な苦しさや夫への不満をぶつけるかのようにスインの道を阻もうとする彼女を見て苛々する場面もありしたが、理不尽に叱っていた過去や自分の誤ちを認めて、娘の背中を押す決意を固めた時は、やはり母親なのだと感じました。

トライアウトの結果を受けた球団から、選手ではなく、事務方としての契約書を提示された時、スインは堂々とそれを拒否し、「女性であることは短所ではない」と訴えます。
ピッチャーにとって大切なのは、バッターに打たせないこと。スインのナックルは誰にも打てないことはトライアウトで証明されていました。

"女性だから"豪速球は投げられない。だからピッチャーとして活躍できない。ゆえに入団させることはできない。といった論理は、前提条件が誤っているのです。
男性だから豪速球が投げられる、女性だから投げられないといったことはピッチャーに大事な要素ではないのです。
しかし、スポーツ界もまたどうしてもこういった固定観念的な性差別に捉われています。
新しい風を吹かすことができるのは、この無意識に根付いている固定観念に気付かされた時なのです。

ラストで新しいユニフォームを着て、ピカピカのアディダスの靴を履き、スタジアムに足を踏み入れたスイン。彼女がこうなる未来を、誰が分かっていたでしょうか。
未来は彼女自身を含め、誰にも分からないもの。だから簡単に諦めることはできないのです。