せいか

マローナの素晴らしき旅/マロナの幻想的な物語りのせいかのネタバレレビュー・内容・結末

1.0

このレビューはネタバレを含みます

1.30 NHKで深夜に放送されていたのを観る。エンディングはカット状態だった。

結局何のために生きているのか?を、かなりヘビーなかたちで主人公の犬はもちろん、登場人物たちを通して描いている作品。観ていてかなり凹む。
あくまで犬に仮託して描かれているだけで、単なる犬可哀想作品ではない。(たしかに犬可哀想な要素もりもりだが)

一匹の犬が自動車事故によって路上で死を実感しただこれを受け入れて自分が消えていく感覚がある中で人間が人生を振り返るように自分の人生を振り返るといった内容で、まさしく生まれてから死ぬまでが描かれていく。過去にどういった飼い主たちがいて、どういった幸せと不幸があって、どういう別れがあったのか。
とにかくずっとしんみりしているのだが、最初から最後までこの地上に生きるものすべて(人であるか否かに関わらず)死に絶えるべしと私には思えてくる作品であった(※ネガティブ要素は強いがそういう作品ではない)。つらい。
幸せってのははかないものなのさ……はるかにつらいことのが多いのさ……ささやかなことに幸せはあるからそれを見いだせばいいのさ(でも圧倒的につらいことのほうがはるかにひどく見いだすまでもなく大きくあるのさ)……みたいな、そういう。
誰もがささやかな慰めを軽率に求め、どういう形になるかは千差万別とはいえ、それにすぐに重荷を見いだす。そして軽率に自分が手を出したものたちを天秤にかけては、その比重の軽いものを手放すのだ。ここではそれが犬の形をしている(そして犬自身も結局はそれを繰り返してきたとも言えるのだろう。ここで描かれたようなもので言えば、ヒトよりもその選択はずっと重たいが)。

幸福の形は一様だが不幸の形は多岐にわたるものといったようなことはアンナ・カレーニナの有名な一文であるが、それを思い出さざるを得ないというか、本編内でもあったが、名前を付けるのは骨を与えることよりも容易いのだといったセリフに全てが詰まっていたのだろう。

ささやかな幸せなどという意味では、作品で描かれてきた人間たちの多くがそういうものがいろんな形でありはしたけれど、作品としてはそれを肯定する気は全くなかったよなとも思う。ささやかな幸せを愛してはいたけど、それでも各々にままならなかったわけで、それを軽んじたから犬を捨てた(り犬に見放されたり)したわけではないのだ。あくまで各々の天秤の比重やエゴが噛み合って幸せらしいものも不幸らしいものも形づけられていく。
軽率なことはするものではないけど、それで何かを見放すのもあれだし、どっちに転んでも結局は(作品で描かれた範囲で言えば)不幸の割合が大きくなるところにそのまま転がるしかなくて、生きることに余裕がない有り様が暴露されて、大変つらい。どこも八方塞がりで、だけどその閉鎖された世界の中で脈々と誰かと繋がっていて、それがでさらに首を絞めていくみたいな。これはそういう話だと思いました。
せいか

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