かるまるこ

劇場版「鬼滅の刃」無限列車編のかるまるこのレビュー・感想・評価

4.0
日本歴代興行収入を19年ぶりに塗り替えての1位も納得の面白さ。
全然話の途中なのに。
これで面白いなんて、上映時間の中でどう物語を完結させようか知恵を絞っている他の映画製作者が不憫になる。

鬼滅は人物造形があまりにも見事で、作劇の基本とは、キャラクターの魅力にあると改めて気づかせてくれる。

もちろん文句がないわけではない。
例えば、煉獄さんの前フリの無さ(ほぼ主人公達と絡んでない)と、モブがモブ過ぎるわりに結構本筋に絡んでくる所。
あとは過剰に説明的なモノローグ。
ただこの種の心の声は、もはや漫画・アニメ表現では「あるある」なので、まあ仕方ないかなとは思う。

やはり鬼滅の魅力は人物造形、それと、ぎりぎり鬼が存在したんじゃないかと思える絶妙な時代設定につきる。

まず時代設定。

大正時代は都会が急速に都市化・現代化し、未だ中世・近世的な価値観を色濃く残す田舎との貧富の差が拡大していった時代で、例えば『もののけ姫』が貴族から武士への時代変化から取り残された者達を「もののけ」として表現したように、鬼滅では、資本主義下での貧者のメタファーである「ゾンビ」に倣い、そうした者を「鬼」と表現していて、いつ自分がそちら側に回るかわからない恐怖を描くとともに、鬼殺隊でありながら貧しい田舎の出である炭治郎の視点を通し、「鬼」にならざるを得なかった者達を同情的に描いている点が、例えば『アイアムアヒーロー』がそうだったように、まさに日本的なゾンビものの正統として位置づけること出来る。

鬼滅が今このタイミングで空前大ヒットを遂げているのもやはり偶然ではなく、そうした弱者の側に立つ判官贔屓的な視点が、いつ自分が感染するか、首を切られるかわからないコロナ禍のマインドにマッチしたからだと思う。

もう一つは人物造形。

特に主役4人は個々人の性格付け関係性含め盤石の布陣で、多少プロットに無理があっても、この4人が登場すれば大抵面白くなる。

伊之助は、多分『七人の侍』の菊千代がモデルだと思うが、本家の菊千代は侍の「静」を強調するための「動」といった感じで、ただただ浮いていて物語の中でいまいちフォローしきれてなかったが、今作では、善逸という逆ベクトルに動くキャラを用意することで、互いの行動にツッコミを入れ、互いに補完する関係になっており、しかも二人のプラスとマイナスの振り幅がそのまま炭治郎の葛藤を代弁する形にもなっていて、ちょっと優等生過ぎる炭治郎に人間的奥行きを与える結果になっているのがニクい。

善逸みたいなキャラは、物語に落差が出る利点がある反面、出口戦略をちゃんとしないと、エヴァQのシンジ君みたいに物語を停滞させてしまい、もう後はほっといて先に行くしかなくなってしまうのだが、その点、善逸は、女好きで、無意識だと強くなるという二段構えで停滞からの出口がきちんと用意されている。

禰豆子は、炭治郎が一人のシーンでも心情吐露しやすくなるように設けられたキャラクターで、ディズニーアニメがよくやる動物や無生物あるいは人外を主人公のお供に据えるやり方を踏襲している。しかも鬼であるという枷を上手く生かし、竹を噛まされているせいで喋れず、眠ることで回復するという設定で、画面にずっと登場していても邪魔にならないように工夫されている。
さらに、伊之助と善逸の登場後、彼等が炭治郎の心情を代弁するようになると、陽の光に当たると死ぬというこれまた鬼の弱点を逆手にとることで、長時間退場しても不自然ならないようにしている。

鼻の利く炭治郎、地獄耳の善逸という設定までいくと、もはやもう上手いを通り越してズルい域。なんか本能的にわかっちゃった的な感じで、面倒臭い説明全部端折ってすぐ本題に入れて非常に便利。

さすがに現代劇で匂いで本能的に何でも理解する主人公なんて嫌だが、魅力的な人物造形の見本とも言える隅々まで考え抜かれたキャラクターに惚れ惚れする。

観終わった後、無性に黒澤明の時代劇が観たくなった。

ノーランの『インセプション』やヴィンチェンゾ・ナタリの『CUBE』の影響の裏に、剣戟映画の伝統もちゃんと感じられてとても良かった。
かるまるこ

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