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ブータン 山の教室のKKのレビュー・感想・評価

ブータン 山の教室(2019年製作の映画)
4.2
真面目に仕事もできない、挨拶もできない、人と話す時にヘッドホンも取らない。
海外に出て歌手になるという現実逃避にも思える夢を持ったチャラめの若者。
今日の日本、世界にも、こんな若者は増えてきてるんじゃないかとも思う。

自分の能力や努力を棚に上げて、自らの現状を社会や境遇のせいにする。正直、ウゲンが山奥の学校に教師するのは、その学校の子供たちが可哀想だと思った。他人を思いやることもできず、態度も悪い。そんな人に教わることはあるのだろうかと。どうせ教わるなら、もっと優秀で礼儀のある教師の方がいいんじゃないかと。

でも、ルナナ村に住む人々は、そんなウゲンのことを心から歓迎した。初対面で酷い態度を取っていたように思えたミチェンでさえも、終始ウゲンに対して礼儀を忘れなかった。
自分がどんなに嫌そうな顔をしても、ここで教師をやるのは無理だ、すぐに帰りたい、と言っても、ウゲンの意志を尊重してくれる村長。人としての敬意を忘れない彼らの心はどれほど美しいのだろうか、、、

そして、ペムザム。彼女の美しく大きな瞳と屈託のない笑顔には、「純真」という言葉がふさわしい。こういう現地の子供たちを撮った作品には、ペムザムのような子供が時々現れる。彼女を撮るためにこの作品を作ったのではないかと思うほどの存在感をもつペムザムの姿は、痛いほど心を揺さぶられる。
先生から学ぶことができる喜び、壊れた家族の中で生きる苦しみとそれでも前を向いて生きようとする健気な姿、ウゲンの状況を理解した上でそれでもこの村に残って欲しいという健気な願い、ウゲンの優しさにも気づくことができる心の綺麗さ。
ペムザムの行動や表情の全てから、彼女の知性と清廉さが滲み出ている。

ペムザムは、どんな大人になるのだろうか。そして、この作品を撮ったことで、ペムザムの人生に何か変化はあったのだろうか。このブータンの僻地において、「映画」という新しい文化に触れた時、その文化はどう変わっていくのだろうか。


かつて世界一幸せな国と呼ばれたブータン。今では、幸福度ランキングでも大きく順位を下げてしまっているらしい。その要因の1つがインターネットの普及、SNSの普及があるらしい。ネットにより他国や他者との比較が出来るようになってしまったことで、幸福度が下がってしまうのは、もはや避けられないことなのかもしれない。
ネットも電気もないルナナ村に住む彼らは、とても幸せそうで、その暮らしに満足している。彼らが感じている純粋な幸福を、もはやネット社会に飲み込まれてしまった我々は感じることができるのだろうか。
どちらの方が幸せかなどと比べることに意味は無いが、ペムザムのような純新無垢な笑顔のある文化に触れてみたいと強く感じた。


ウゲンは1度村を離れて海外に行ったけど、再びルナナ村に戻ることはあったのだろうか。もし自分が教師で、北海道の山奥で教師をしてくださいと言われたら、そこでどんなに望まれても、そこで一生をかけて子供たちに勉強を教えるという選択は出来るだろうか。
あんな経験をしたら、ネット社会で消耗する生き方の方が、生きる意味を見失ってしまうのではないだろうか。

生きるって難しい、、、
幸せって難しい、、、
KK

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