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ブータン 山の教室のメガネンのレビュー・感想・評価

ブータン 山の教室(2019年製作の映画)
4.8
ブータンの人々は、日本人ととてもよく似ている外見をしている。けれど、その内面はまた一段と異なるものだ。どちらが良いとか、そう言うことではないが、同じ顔をしているからこそ、あれほど美しい笑顔や心からの感謝の言葉、素朴で郷愁を誘う歌声は、日本人にはなかなか見出せないものだと感じ、無性にこの国を訪れたくなった。
りんごのように頬を赤く染めた子どもたちが、痛切に愛おしい。後になってから知ったことだが、ペムザムは役名ではなく、彼女の本名で、実在するルナナの少女がそのまま演じており、その境遇も映画の中と同様で、祖母と暮らしていると言うことを知った。このような映画が撮れると言うのは凄いことだと思う。監督は一体どんな魔法を使ったのだろうか。それとも、これこそがブータンの人々のあるがままの姿なのだろうか。だとしたら、あまりにこの映画が描き出したものは尊い。
その4800mという標高にあるルナナの村から見渡す景色、あるいはそこまでの道程も、まさに地球の大きさを感じさせる峻厳かつ霊感を持ったものばかりで、眼を見張る美しだった。その雪の澄んだ空気さえ漂ってきそうな画面だった。

実際に近年のブータンでは、主人公と同じようにオーストラリアへと移住しようとする若者が増えているようだ。理由は様々だが、2000年代以降の急激な近代化に伴って流入してくる他国の情報と、自国の現状との違いにショックを受けてとの説もある。

だとしたら、映画のエンドシーンは印象的だ。
その様な世相そのままに豪州へと移り住んだ主人公を待っていたのは「金を払ってるんだぞ。ちゃんと歌え。」という台詞が象徴する様に、消費の中に組み込まれ、物質的な豊かさに覆われて、個人の優しさや健やかさとは違った価値の社会だった。そして、ウゲンは歌う。ヤクに捧げる歌を。なにかに抗う様に。

ウゲンは、山の学校で教鞭を執る中で、次第に教師としてのその資質を開花させていく。それを招いたのはペムザムたち子どもたちからのまっすぐで健やかな期待の眼差しだった。「先生になりたい。先生は"未来に触れることができるから"」というある子の言葉は衝撃的だった。
そんな風に教職を捉えたことなどなかった。
実に胸に刺さる言葉だ。
彼らは心からの謝意を以ってウゲンを送り出す。村長の歌うヤクに捧げる歌と共に、いつまでも手を振り続ける。

手紙を読むシーンは、ウゲンが如何に子どもたちにとって素晴らしい教師であったかを、子どもたち自身の言葉によって、端的に表されていて、涙が出た。「ウゲン、戻って!」と心の中で思った。

この映画は結局、ルナナの村人たちと子どもたちが心から求めていた先生と、別れなければならなかったという事実で終わっている。映画は、ウゲンがその後オーストラリアでどの様に生きていくのかも、ルナナの教師問題がどうなったかも描いてはいない。

けれど、だからこそ、最後に歌われるウゲンのヤクに捧げる歌が全てを語っている気がした。

幸せの形は魂が知っているのだということ。