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今日もどこかで馬は生まれるのbackpackerのレビュー・感想・評価

4.0
今日もどこかで……。

日本競馬界の大問題、経済動物"馬"の生涯について、関係者の抱える苦悩と葛藤、誇りと栄光、願望と挑戦、それぞれが胸に抱く"思い"を紐解くドキュメンタリー映画。

暗めの内容を中立的にまとめつつ、平林監督の問題意識を作品の端々から汲み取ることができる、なかなか見応えのあるドキュメンタリーでした。
「多くの馬が若くして命を終えている」という厳しい現実が、重くのしかかると同時に、これからどうしていくべきか考えさせられます。


本作において、最も胸につまされたのは、新潟県長岡市の食肉センターにて、50年以上屠畜に携わっている関眞さん。
この人は、競走馬産業における最も過酷な、馬が最後に辿り着く命の終着駅を任されています。(馬に限らず、我々の口に入る全ての"お肉"を生産するために、命を奪うお仕事をされているわけですが、その点に触れるのは割愛。)
そこには、常人では計り知れない"思い"が溢れている。その職務に対し、「仕事と割り切らないと、とてもじゃないけどやれない仕事なんでね……」と、苦し気に、しかし気丈に、そして自分の仕事に誇りを持っていることが伝わるような、力強く朴訥な口調で、馬の命を奪うことを語ります。
馬の命の終わりの一時、その"思い"の一片が語られる本シーンは、非常に意義深く、価値があり、重みがありました。

この、「多くの競争馬は食肉センターで死ぬ」という、目を背けたくなる厳しい現実が、開始12分程の序盤で見せつける本作の構成からは、監督の意図が見えてきますね。
例えば、暗い(又は夜の)馬房、冷たく輝く食肉センターのフック、仄暗い事務所の一室、曇天の空の下の駐車場、寂しげな空気感の牧場、やるせなさを隠しきれない取材対象者達の表情……等の映像は、どれもかなり陰鬱な雰囲気を漂わせております。
ドキュメンタリーらしく抑えたグレーディングの画作りによって、切なく儚げで酷薄な雰囲気が演出された結果受ける印象なのでしょう。
この演出の結果、馬達の生涯に対する各々の思いや意見を述べる関係者達に、後ろ暗さがあるように見せる効果を与えています。


さて、作品の早々に、競走馬となるべく生を受けた馬に課せられる"死"の定めについて、たっぷりと含みを持たせ見せつけた本作は、その後比較的明るさを求めた内容へと舵を切ります。
要は、引退競走馬を買いとった厩務員男性と競馬ライターのパートナー女性や、大規模牧場と小規模牧場の競走馬生産者の思い、オーナーと調教師、競走馬を引退した馬の生き方を模索する人たち等、"生と成長と引退"に携わる人たちに焦点を当てていくのです。
このような舵取りをしても、随所から寂寥感が感じられるのは、経済動物への向き合い方に対する批判・皮肉・状況改善の願い等が根底にあることや、上述の監督の意図する方向性があるためでしょう。
そのため、冒頭に映された、競馬観戦に来るお客目線以上に明るい雰囲気には、どうやったってなりません。
とは言え、現状を変えようと努力する人達の懸命の取り組みや、一つひとつの歩みを見ると、「捨てたもんじゃない」と希望が持てるのは、とてもありがたいところですね。


色々と書きたいことはありますが、これ以上はとっ散らかってしまうため、レビューは終了。
公式サイトでは、クラウドファンディングによる映画制作までの流れや、その後のニュース等の情報が掲載されていますので、併せて覗いていただきたいですね。

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「人と馬がこれからも共に
生きていくために必要な事とは?」
——決して善も悪もない、
正解も不正解もないこの問いの答えを、
皆さんも一緒に探していただけたら幸いです。
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