うみぼうず

戦争と女の顔のうみぼうずのレビュー・感想・評価

戦争と女の顔(2019年製作の映画)
4.0
彼女たちは何とたたかっているのか。
敵国と戦う行為は終わっても、復員後の世の中、男性、女性同士、そして戦争の傷、負の遺産とのたたかいは続いているということか。4人の女性、イーヤ、マーシャ、サーシャの母、そして全身麻痺の英雄の妻ターニャの選択と静かなたたかいが描かれている。

想像していたものよりとても深く描写されて、想像よりも戦争は前面には出てこない。とても良い映画とは思ったが、正直もう観たくないし人には薦めない。しかしこの作品、ロシアの、しかも20代の監督だというのがかなりの衝撃。この才能には注目したい。
またプロデューサーはウクライナ出身、戦争が残す痛みは身体だけではない。プロデューサーの友人が今年の開戦後一ヶ月で顔付きが別人のようになってしまったとのこと。ロシア本国では上映禁止らしく(女性同士のキスシーンがあるという名目)、まさに戦時中国家だなと。

とても静かな作品でありながらテーマは多岐に渡っていて、時に観る側の判断に委ねられる部分が多い。特にマーシャの心理の変化は表面上分かりづらく、パーシュカが亡くなったと知って(ぱっと見)悲しむでもなく踊りに行くあたりは最初理解に苦しんだ。
本当に子供が大事なのではなく自分の写し鏡、存在の拠り所としての子であり、既に子をなす事が出来ない"からっぽ"を満たしてくれる自己の希望の投影としての子供なんだろう。

赤と緑は多くの方が言っている通りとても象徴的。個人的には赤=血であり攻撃的ひいては男性性を表しているのかなと感じた。復員後のマーシャは赤をよく着ており、緑色のドレスは既に自分に無いと思っていた女性性であってあの自暴自棄なくるくる回る長回しに繋がる。
壁もそう。赤い壁から緑に塗っている途中でご近所の苦情などもあり止まっており、男性的な戦争の匂いから脱却したいが世間の目からは逃れられないことの暗示なのかなと。
アレクサンドロの家に行った際にマーシャが緑のドレスに血を付けてしまったのも、どこまで行っても戦争の傷は付いて回ってくる。

だからラストで二人はお互いの存在証明の為に子を作る事を目的として、二人でいる事の意味を見つけ出す。希望を感じられるものでもあり、共依存の関係から逃れられない、戦争の影はずっと付きまとうという絶望でもある。

正直長回しは意味あるもの意味ないものあり途中退屈と感じる部分もなくは無いが、その分 余白に終戦直後の時代の息吹と大衆文化が伝わってきて興味深い。原作もぜひ読みたい。
これを自宅で観るとしたら2、3回に分けて観ただろうな…そういう意味では多少苦痛を感じながらでも劇場で観てよかった。(隣の席の人がいびきを何回も…)
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