幽斎

戦争と女の顔の幽斎のレビュー・感想・評価

戦争と女の顔(2019年製作の映画)
4.6
ロシアの新鋭Kantemir Balagov監督の長編2作目。カンヌ映画祭「ある視点」国際批評家連盟賞と監督賞W受賞。アカデミー国際長編映画賞ロシア代表。戦後のレニングラードで、戦争に従軍し心と体に深い傷を負う2人の女性の過酷な運命を描いた不屈の反戦ドラマ。京都のミニシアター、出町座で鑑賞。

「ロシア」と申し上げたが、監督の出身はロシア連邦北コーカサスのバルカリア共和国チェルケス系、素直にロシアと紹介して良いか戸惑うが、長編デビュー「Closeness」もカンヌ映画祭に出品、本作と同じ国際映画批評家連盟賞。現代ロシアの縮図と言える作風が高評価され、本作の著名な原作に結び付いた。ウクライナ紛争に嫌気が差してロシアを出国。現在はロサンゼルスに滞在する監督が日本にメッセージを寄せてくれた。
www.youtube.com/watch?v=OMfVitwz_d4

原作「戦争は女の顔をしていない」ベラルーシ出身の女性ジャーナリストで作家Svetlana Alexandrovna Alexievich。ソ連では第二次世界大戦で百万人を超える女性が従軍、看護婦や軍医の他にも兵士として戦った。だが、戦後は世間から白い目で見られ、戦争体験をひた隠しにする日々を強いられた。彼女は500人以上から聞き取りを行い戦争の真実を大衆に詳らかに。ソ連とベラルーシで出版禁止を受けたが、続く「アフガン帰還兵の証言」「チェルノブイリの祈り」一貫してVladimir Putin大統領や「ヨーロッパ最後の独裁者」ベラルーシ大統領Aleksandr Lukashenkoを批判、2015年ジャーナリストとして初めてノーベル文学賞。日本では岩波書店Kindle版なら0円。原作は鑑賞後に読了済。

原作は第二次世界大戦の独ソ戦に関わった女性達へのインタビューを纏めたノンフィクション、映画は1945年終戦直後のレニングラード、現在のサンクト・ペテルブルグが舞台の監督オリジナル脚本。私は学生時代からロシア文学を嗜み、ロシア映画を好んで見ていたが、現在の状況では日本にロシア映画が入って来る事は難しく、仮に傑作だとしても迂闊に褒められない閉塞感を感じる。勿論、紛争と映画は別次元では有るが、ロシア贔屓だと言う批判を恐れず真摯にレビューして参りたい。

カンヌで公開された原題「Beanpole」意味はひょろ長い人。ロシアの原題「Dylda」直訳すると品の無い行いだが、監督はインタビューで女性達が戦後を生き抜く為に社会に適応できない「ぎちこちなさ」ソレが立ち位置があやふやなひょろ長い人。社会の醜さを品の無さで表したと語る。主演イーヤを演じたViktoria Miroshnichenkoが長身の女性。マーシャ役Vasilisa Perelyginaが品が無い?(笑)。秀逸なのは戦争を糾弾する作品乍ら「戦闘シーンも戦場の悲惨さも登場しない」。

皆さん今年の大河ドラマ「どうする家康」見てますか?。最近の大河ドラマは予算が潤沢なのに有名な合戦シーンをロケがメンドクサイと手抜きで全くヤラない。特に今年は歴史考証の専門家の意見を無視、脚本の古沢良太が自分が描きたい事を優先。松潤の演技以前の問題で、戦国モノに詳しい、と言うより語るべき資格の有る私には、史実を悉く無視する点が許せない。合戦を避けるなら演者の緻密な表情、映像の質感が必須だが、側室にLGBTQやお花畑思想をブッ混むなど正気の沙汰とは思えない。

彼女達がなぜ戦場に行ったのか、前線へ逝く必要が有ったのか。映画は何も語ろうとはしない。其処にはロシアの人々は先刻ご承知ですよね?と言う既成事実化も無い。ただ、彼女達の行動を私達に見せるだけ。ハリウッドなら劇判で盛り上げる、役者が観客に訴える演技をするだろうが、ソレも無いと言うか否定すら感じる。在りがちな偉大な指導者も登場せず、女性と戦争映画では必ず登場するレイプ犯罪も描かない。

原作がソウ成ってる訳では決してない。女性作家らしい嘘偽りのない彼女達の告白を赤裸々にトレースするが、監督は原作を読んで彼女達が戦争に対する「無知」に括目。感情の変化とか意識の変遷を辿る事で、現代の常識と照らし合わせた俯瞰的な視点で疑問を感じた事が映画製作に結び付いたと、インタビューの続きで語る。つまり、彼女達の証言の重さを尊重して意図的に「戦闘も戦場も登場しない」事を決めた。演者の緻密な表情、映像の質感だけで訴える監督のセンスには脱帽しかない。NHKよ、本作を観て爪の垢でも煎じて見ろ!、戦国とは人の死を尊ぶ事にこそ描く意味が有るのだ。

ハリウッドには「勧善懲悪」の精神が有り、スターウォーズ然りアベンジャーズ然り。アメリカ人にはキリスト教が唯一の心の拠り所、敵と味方をハッキリ分けたい。宗教すら分断する事で自分の居場所を再認識する。共和党と民主党がお互いを尊重し合う事は未来永劫無い。一方でロシアの文学や映画が善と悪の境目を描く事は極めて稀。原作は誰が悪いのか明確に糾弾するが、本作では「結局誰が悪いのか?」暗示に留めてる。

局所的な「アイツが悪かった」「だから私の人生は踏み躙られた」一元的な視点では無く「悪いのは戦争自体」と言う大局的な視点をロシアの文化は大事にする。歴史的名作「惑星ソラリス」を見たアメリカ人が、SFすら哲学的に語るロシアには勝てないと、テクノロジーに頼る作風にチェンジした話は有名だが、原作と本作で一番違う点が此処、因果関係を意図的に曖昧にする、戦争犯罪「者」ではなく、弾圧の根源は戦争だが戦いが終わっても彼女達の闘いは終わる事は無いと監督は静かに語る。

最後に原作の一説を紹介。「夏に成ると今にも戦争が始まるような気がするんだよ。太陽が照り付け建物も木々もアスファルトも温まってくると、私には血の匂いがする。何を呑んでも食べても、この匂いからは逃れられない」。本作の公開は2019年、ロシアのウクライナ侵攻が始まったのが2022年2月。プロデューサーAleksandr Rodnyanskiyは、Volodymyr Zelenskyy大統領の経済顧問。本当の「戦後」は何時訪れるのだろう?。

鑑賞後、貴方はきっと隣に居る人を抱きしめたく成るだろう。人は何時だって美しい。
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