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森のムラブリのpurigoroのネタバレレビュー・内容・結末

森のムラブリ(2019年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

色々なことが衝撃的過ぎた。東京で生きてる自分ってなんだろう、と思った。ムラブリとしての生活を続けてほしい(多様な民族のそれぞれの生き方、生活の仕方が存続できる世界であってほしい)と思うけど、それはただのエゴなのか…。。
監督が、アピチャッポンに影響を受けたと言っていて、やはり…!と思った。

●監督の言葉
・元々奄美や沖縄のフィールドワークをしていたが、アピチャッポンの「トロピカル・マラディ」や「ブンミおじさんの森」を観たことがきっかけで東南アジアの民俗学に興味を持つようになった。
・ムラブリが「黄色の精霊」と呼ばれているというところからムラブリに興味を持ち取材を始めた。(「黄色の精霊」は、ムラブリが森で建てる家にバナナの葉っぱを使っていて、時間が経つとその葉っぱが黄色に色が変化するのだが、彼らは定住せずに住む場所を転々としながら移住しているので、森の中に彼らがいなくなったあとの黄色の葉だけが残されていて、ムラブリは「黄色の精霊」と呼ばれるようになった。)


●感想、メモ
・長老のお爺さんの話し方(音程)が、音楽、歌みたい。結構好き。ハマりそう。
・長老のおじさん:タロイモ?を掘るのが苦手。「多分ここにはないかも」と言いながら掘る。それでもタロイモ出てくるのが凄い。というか、あんなに広い山で、自分たちが植えたわけでもないタロイモをただの勘で掘り当てて、それを主食としているのが衝撃的すぎた。農耕民族ではないということ、、。
・ほぼ竹で生活(お米を炊く、家を作る、魚を焼く)
・葉っぱを水飲みなどにも使うの凄い。活用術。
・靴履かない(森の中、痛くないの…?)
・若者はイヤフォンして音楽を聴いている(そのようにある特異的な一部分のみデジタル化しているが、それでも森で暮らしている。)
・ある少年の言葉「森は涼しくて過ごしやすい(村は暑いから学校には行かない。)」
・村に定住するようになって、熱くて子どもがたくさん死ぬようになった。
・村人からお米をもらう生活
・魚を生きたまま調理(魚などの生き物を殺して食べ物を得ていると思い知らされた。血がリアルで背筋がゾッとした。)
・即興で良くあんなに上手く歌が歌えるな。
・バナナの葉っぱデカッ…
・生きること=食べること(それ以外のことはほぼ何もしない。)
・唯一のダメ男。(1/15人分)ムラブリとして生まれて育っても、やはり村への憧れとか、そういう気持ちは生まれるんだ。。
・森の中で移動する。移動する残骸が残っている。昔は自然物だけだっただろうが、今はプラスチックなど自然のものではないものが森にそのまま残されてしまっている。
・1980年代に再発見され、1990年代から村に定住するようになった。(←つまり、再発見されたことて、ムラブリとしての生活が終わってしまった。)
・タイ側のムラブリは400人と4人、ラオス側のムラブリは15人ほど。
・ムラブリ長老の言葉「神が降りてきて、白人・タイ人・ムラブリになった。」
・言語学者・伊藤雄馬さんが、3つくらいのタイ語とムラブリ語?を習得して会話してるのが凄すぎ。。


●作品概要(HPより)
ラオスの森の民がわたしたちに教えてくれること。人食い伝説によって、たがいに憎しみ合うムラブリ族に日本の言語学者が対話の力で融和をもたらす。映像人類学の可能性を切りひらく、かつてない冒険!

タイ北部ナーン県のフワイヤク村は、400人のムラブリ族が暮らす最大のコミュニティ。男たちはモン族の畑に日雇い労働にでて、女たちは子育てや編み細工の内職をする。無文字社会に生きるムラブリ族には、森のなかで出くわす妖怪や幽霊などのフォークロアも豊富だ。しかし、言語学者の伊藤雄馬が話を聞いて歩くと、ムラブリ族はラオスに住む別のグループを「人食いだ」と怖れている様子。伊藤とカメラは国境を越えて、ラオスの密林で昔ながらのノマド生活を送るムラブリ族を探す。ある村で、ムラブリ族が山奥の野営地から下りてきて、村人と物々交換している現場に出くわす。それは、少女ナンノイと少年ルンだった。地元民の助けを得て、密林の奥へとわけ入る。はたして今も狩猟採集を続けるムラブリ族に会えるのか?21世紀の森の民が抱える問題とはいったい何なのか?
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