てっちゃん

森のムラブリのてっちゃんのレビュー・感想・評価

森のムラブリ(2019年製作の映画)
3.9
前日に慣れない登山をして、身体がぼろぼろのままに、いつもの喫茶店に行き、必ずこぼれるアイスコーヒーのモーニングセットを頼み、こういう朝も悪かないね?と軽く微笑みながらの、いつものミニシアターの階段をぼろぼろになりながら登っていきます。

この日は本作の舞台挨拶をやるということを当日に知ったんだけど、なんとかチケット取れて良かった良かった。
そんな訳で貴重な舞台挨拶の内容も盛り込んでの自分なりに思ったことを書いていきます。

本作はタイ、ラオスの国民ですらもその存在を知られていないムラブリという部族を探し出していくというドキュメンタリー作品。

金子遊監督さんが現地取材していたら、偶然言語研究学者の伊藤雄馬さんと出会う。
伊藤さんはもう10年近くに渡り、ムラブリ内部に入り込み言語研究をしているという。

そこでわかったのは、ムラブリ族は3つのグループに分かれており、そのグループ間の交流は全く無く、お互いがお互いのことを"人喰い族"であると言っているとのこと。

そんなわけで本作は、ムラブリ族を探し実際の生活を撮る旅+分断されているグループを交流させる、という目的のもとに作られている。
なので鑑賞側も一緒に旅をしているように感じることのできる構成になっているわけだ。

舞台挨拶から印象に残ったことと、本作を観て思ったことを盛り込んで。

当日は金子さんと伊藤さんが貴重なお話を聞かせてくれたのだけど(もっともっと聞きたかったくらいに面白い内容でした)、本当にばったりと偶然、現地で伊藤さんと出会ったそう。

しかも偶然、ムラブリ族の青年が街に来ていたから、ムラブリ族のテント地?(居住地を持たない部族であり、食糧が無くなったり飽きたら移動して新しい寝床を探すんだって)へ連れて行ってもらったそう。
こんな"偶然"ってある?
これだけで、もう楽しくなっちゃうでしょ。

ムラブリのグループごとに、お互いを歪みあっている反面、伊藤さんがスマホ(ムラブリの人達だってスマホ使うし、音楽だって聴いてる)で、ほかグループの様子見せると、"危なくないの?"とか"どういう人達なの?"って興味津々。
知的好奇心がものすごいってこと。

ムラブリの人達だって、現代に生きている訳だから、山で撮れた幸を村に持って行って、物々交換している。
でも村の人達が言うには、ムラブリは"あるお金をその日のうちに使っちゃう"とのこと。
その日暮らしがここでは成り立っている。
お金が無いからすることがない、村へ行くだけでなんかもらえる、、そんな生活をしているわけだ。

伊藤さんは、ムラブリの研究を通して"モノを持たなくなった"とのこと。
つまりは所有欲がなくなった、ということであり、そうすると世界の見え方が変わってきたんだって。
確かに、ムラブリ族の人達を見て思ったことは、"お金がないから余裕がある"ってこと。
これめちゃくちゃなこと言っているけど、この世界ではそれが成り立っている。

あと面白いのはムラブリには、ありがとう、こんにちは、さようならを表す言葉がないんだって。
返事をすることが大事で、その返しの内容については特にどうでもいいみたい。

例えば、"ごはん食べた?"って聞かれても、食べても食べてなくても"うん食べた"って返すんだって。
これは、その人がちゃんと今日も生きているってことが確認できれば良いってものであって、その人が何を食べようが、食べてなかろうがは重要では無いってことなんかな。

最後に彼らが交流するシーンが描かれる。
そこでの彼らの表情や、会話をしようとする(グループ間で言語が違う)空気や間に注目して欲しい。
そこに我々が忘れているコミュニケーションが隠されているかもしれない。

鑑賞後、大きく伸びをして劇場を後にして、なんだか気持ちが少し楽になったなと感じた作品でした。
てっちゃん

てっちゃん