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森のムラブリのumiのレビュー・感想・評価

森のムラブリ(2019年製作の映画)
5.0
ムラブリがいる。存在している。何も考えず、まずその存在を認めることからはじまります。

映画を見た後のトークショーで、現地のコーディネイターをしていた伊藤雄馬さんは「(ムラブリのような)感性があれば、その都度判断できる。」と言っていました。伊藤さんのそのことばは、交換されることも再帰することもない、たくさんの「経験」を踏まえて、響くものな気がします。

ドキュメンタリーはきっとその過程の一部を切り取ったにすぎない。いまわたしが(さも結論づけるように)「アナキズム」「互恵性」「コモン」といった概念を用いたところで、浅薄さが浮き彫りになるだけで、経験や身体を伴わないことばが空を彷徨うだけな気がします。それはわたしの生活や身振りを問い直したり組み立てなおす過程においても、きっと同じことです。存在と経験は離れがたく、つよく結びついている。未だ経験していないことを目の前にして、わたしはきっとその存在を認めることからしかはじまりません。「狩猟採取民」や「ゾミア」といった一般論や学術論では捉えられない、刺激と経験が映画の中だけでもどばどばと溢れています。ムラブリたち一人ひとりの存在であり、人間関係であり、集団のあり方の経験です。何を「わかる」ことができるのでしょうか。

ムラブリを「他者」として知り、逆照射するように「わたし」の存在を問い直すこと、それはムラブリにかかわらず、よくある考え方だと思います。もはや、わたしにとって心身ともに染み付いている思考方法だと、ハッとなります。当然のことなのですが、点と点を結んだり、文脈を整理するだけでは、安易にわからないこともたくさんあるのだと気付かされます。ムラブリの人びとがムラブリという基盤の中で何度も自分達の存在を問い直していること。互いの関係の中で、浮かび上がってくる関係の中で生きていること。ドキュメンタリーで切り取られているひとつひとつに惹きつけられます。

「別の生き方は可能だ」といったみたいに理論を考えたりすることも個人的には重要なのだと思いますが、いまここにおいてでも、自分の人間関係や、生活の網の目の中で、人や世界などと共に生きるためにできることがたくさんあるのだと思いました。そういうことが「わかる」。日々の選択のための案内人として、ムラブリの人びとがいることを嬉しく思ったりもしました。

感じたり考えたりしたことを書こうと思いましたが、句読点を打つように書き切るのではなく、これからどのように振る舞うのか、その行為の中で、どのようなことばを見つけて獲得するのか、その方が、重要に思えてきました。
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