KnightsofOdessa

ファミリー・ネストのKnightsofOdessaのレビュー・感想・評価

ファミリー・ネスト(1977年製作の映画)
3.0
[ハンガリー、終わりなき嫁舅戦争] 60点

60年代に花開いたハンガリー映画の黄金時代が徐々に衰退し始めた1969年。ハンガリー有数の映画学校Balázs Béla Studio出身の監督たちが、労働者の視点から社会を描く運動を起こし、後に"ブダペスト・スクール"と呼ばれるようになる集団を結成する。そして、70年代はドキュメンタリー映画を多く製作するようになって、そこで新たな視点を獲得した監督たちは80年代の二度目の黄金時代を牽引することになる。タル・ベーラは運動の終盤に参加し、22歳にして長編デビュー作となる本作品を作り上げた。

尤も、『Damnation』以降のタル・ベーラ作品とは全く異なった、顔のアップと会話の連続的な切り返しによって映画を成立させているので、一般的な評価はタル・ベーラというよりジョン・カサヴェテスといった方が正しいかもしれない。特に『フェイシズ』。しかし、本人は本作品以前にカサヴェテス作品を観たことはなかったようだ。映画は道を歩く女性が電車を乗り継いで職場(食肉工場?)に辿り着き、貰ったなけなしの給料を使って同僚の女友達を居候している旦那の両親の実家に連れ込むところから始まる。彼女のやることなすこと全てが気に食わない舅はネチネチと文句を言い始める。やれ女友達にはパンケーキで俺にはやっすいソーセージか?だの、そんな金があるなら家賃払えだの。旦那(舅の息子)が帰ってきても、今度は孫娘の躾がなってないとガミガミ言い始め、舅と嫁が大戦争を繰り広げる中、息子はニコニコしているだけだ。その点に関しては古今東西変わらないようだが、普通は舅じゃなくて姑な気がする。舅は"親の顔が見てみたい"が貫通して自分のとこまで来て、自分の名前に泥を塗られるのが嫌なのだ。遂には息子にもお前は優しすぎるんだよとダメ出しする。

多くの同時代の作品と同様に、"ブダペスト・スクール"の手法を用いた作品になっている。しかし、本作品はドキュメンタリー映画ではない記録映画として、モキュメンタリー的な側面を持っており、イレンやその旦那のルシには疑似インタビューのような形で、家から追い出されることや、子供と引き離されそうになっている自身の状況や思うこと架空の過去を語らせている。この手法によって映画の中で起こっていることが誰にでも起こりうることである、現実と陸続きであることを強烈に意識させるのだ。

そして、耐えきれなくなったイレンは役所に駆け込むが、公共マンションに空きはないと言われる。押し問答の過激な切り返し、必ずしも話者を向くとは限らないカメラワークは自由で、同時代のドキュメンタリー映画からは逸脱した強さが伺える。そして、アパートも借りれず義理の両親とも大喧嘩を繰り返し、映画は再び家族の口論を撮し続ける。舅は孫娘を支配下に置きたいがために母親を邪険に扱い続け、遂にはイレンを娼婦呼ばわりして家から追い出そうとする。映画上の物語としてはそこで切れてしまっている。おそらく、住宅問題などの社会問題を描いているのだが、あまりにも中途半端で、手法に囚われているような気さえしてくる。

ハンガリー映画でよく見かける遊園地のメリーゴーラウンドぐるぐるショットを見かけたが、ファーブリ・ゾルタンの伝説的な『メリーゴーラウンド』のシーンを模倣したというより、カメラは乗ったゴンドラから下を向いており、上から手を振るイレンとクリスティが下にいる父親を見下ろしながら眼下に広がる町並みを記録しているようにも見えた。
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