幽斎

私の知らないわたしの素顔の幽斎のレビュー・感想・評価

私の知らないわたしの素顔(2019年製作の映画)
4.6
本作はフランスの推理小説と同じく起承転結を求めてはイケない。ロジカルなトリックでは無く、心理レトリックを用いる作風に共感出来るか否かで評価が分かれる。女は誰しも「別の顔」を持つ生き物、家庭での妻の顔、会社での上司の顔、そして男への女としての顔。性をフランスらしく官能的に描きながら、観る者をラビリンスへと誘う。

Safy Nebbou監督自ら書いた、2008年「L'empreinte de l'ange」内外で高く評価され、2019年Noomi Rapace主演「アンストッパブル」としてリメイクされた。監督は「Dans les forêts de Sibérie」等のリアリティ系が得意だが、本作では一転して本格スリラーに挑んでる。監督の短編「Ensemble, c'est possible!」を気に入り祖国の大物女優が出演を決めた。短編は此方でご覧頂けます。https://www.youtube.com/watch?v=lRE-ZoYxGxA

Juliette Binoche、56歳!。1993年「トリコロール/青の愛」ヴェネツィア映画祭女優賞。1996年「イングリッシュ・ペイシェント」オスカー助演女優賞とベルリン映画祭銀熊賞。2010年「トスカーナの贋作」カンヌ映画祭女優賞。書いてて気持ち良い(笑)、世界3大映画祭+オスカーをコンプリートした女優。私の親世代に当たる大女優だが、レビュー済「ハイライフ」同様に成熟した「女」を堂々と熱演。これは反則級の妖艶さ、見事なプロポーションは圧巻。私なんて一発で夢中に成るでしょうね。

先輩に依ると50代と言えば、ある意味「性」に対する句読点と言えるそうです。特に女性の場合は更年期や閉経も有り、自分が女として「まだ」見られる、認められる、求められる事への渇望が赤裸々に綴られる。セックスレス夫婦でも、妻はこの年齢に差し掛かるとセックスへの興味が再点火し易いとか。今の50代は昔と違い充分に若々しい。私の上司でBinocheと同じ位の年齢の女性が居る。既にお孫さんが3人も居るが、綾瀬はるかが50代に成ったら、こんな感じかな?と思わせる程「女」として魅力的。出張で相部屋だったら、何が起こるか分らない(笑)。女性として「まだ」魅力的な部分と、実年齢が「同情」と言う形で反作用する姿には説得力が有る。

作品を観て1951年「欲望という名の電車」を思い出した。戯曲としても有名ですが「悲しい、哀しい」どちらも当て嵌まる女性を描いてるが、演じてるBinocheも、これまでのイメージを覆す、脆くて儚い女性を上手く上書きしてる。SNSと言う現代的なモチーフを使うが、其処には現実と虚構の狭間で揺れ動く女としての真理。傍目には勝ち組の暮らしだが、内面は加齢と性生活で満足が得られない焦りと寂しさ。それが解ける事の無い矛盾へと彷徨う、そんなフランス映画らしい様式美も堪能出来る。

フランスの留学生の話。フランスの男は中々結婚しない。自由が好きとか束縛が嫌いとか言うが、それは単なる責任逃れ。「事実婚」と言うのも上手いシステムで、セックスはするが、籍を入れない、要は責任を負いたくない。結婚しても妻とは別の恋人(愛人では無い)を平気で作る。では女性はどうか?。女性は非常に考えが成熟しており、若い時は年上の男性と付き合って、女としての生き方を学ぶ。自分が年齢を重ねたら、今度は年下と付き合って、男を育てる。そんな考え方が有るそうです。本当なら今直ぐ引っ越したい(笑)。

スリラーとして観れば、Binocheの職業がキーで有り、ネットの仮想と現実をクロスオーバーする事で、2つの人格が存在してる事への伏線が、ラストで見事に活きてくる。加害者で有りながら被害者を装う。被害者と嘘を吐く事で他人からの同情を得る。生身の人間と対峙しない、今のSNS時代の象徴「承認欲求」そのもの。葛藤が壁にブチ当たる、フランスらしい内向的なシナリオと見せ掛け、最後に引っ繰り返す手法は見事。難を言えば真相が聊か現実的過ぎて、英米のミステリーに慣れてる身としては、拍子抜けの感は拭えないが、新たなカオスの始まりを予感させる、最後に繰り出されたレトリックは、流石フレンチ・スリラーと手放しで褒めたい。本作を観て誰しも自分のペルソナを思い浮かべるだろう。

貴方は10代の頃に付き合ってた彼氏の顔を思い出せますか?「性」に終わりは無く、恋愛に年齢は関係無いのです。
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