ゆずっきーに

すばらしき世界のゆずっきーにのネタバレレビュー・内容・結末

すばらしき世界(2021年製作の映画)
4.3

このレビューはネタバレを含みます

とても誠実に作られた映画であるから、なるべく誠実に感想を書き留めておきたい。
西川美和作品は今回が二作目の鑑賞(永い言い訳→本作)。

三上という我々「普通の」人間からは縁遠いキャラクターがフィルムの大半を独占する本作は、偏屈でありながらも人々との交流のうちに寛解する主人公の『永い言い訳』とは越えられぬ一線を画する。
「元極道の殺人犯」なる生い立ちからして、三上はこの世界に放り込まれた触媒であり、スクリーンを眼差す我々は彼とその周囲がどのような反応を起こすかを冷徹に観測していく(その意味で、はぐれ者が集い形成された奇妙な“家族”を描く是枝作品に重なる部分もあるなあと)。

本作で特に重要な役回りを担っていると感じたのが、文筆家志望の津乃田龍太郎だ。三上に次いで出番が多いというのもそうだが、作中他の「一般人」たちと津乃田とを西川監督は明らかに差別化して描いていると思う。
三上と邂逅した津乃田は、まず三上に対して浅薄な好奇心を抱く。オモシロ取材先を見つけちゃいました〜程度の心持ちであり、「罪の意識は無いんですか?」なんて尻込みもせず土足で彼に問うてみせる。しかし三上が振るう暴力の現場に居合わせた津乃田は彼を怖れ、その場から逃げ散らかす。
この一件を境目に、津乃田の興味は三上の表層(極道、殺人犯、暴漢、ドロップアウターといった記号的な属性)から深層(人格形成、境遇、半生)へと遷移していく。三上を理解したい、しかし受け容れ難い。揺れる気持ちで電話をかけて激しい口論になる。これを以て三上と縁が切れるのかと思いきや津乃田はあきらめず、三上にとって本来の願いであった実親探しの手がかりを求めて彼と二人養護施設へ赴く。
何十年も昔の歌を口ずさみ、子供とサッカーに興じ、泣き崩れる三上。その姿を見つめる津乃田の表情からは三上への浅はかな好奇心や怖れを最早一切見て取れない。バイアスを剥ぎ取った先にある三上の魂に真なる意味で触れ、彼は三上について本を書き残すことを心より誓う。

その後、三上の再就職が決まった際の祝賀会のシーン。就職先のスーパー店長・松本、身元引受人である庄司夫妻らが口々に三上へアドバイスの言葉をかける。「カッとなっても我慢」「逃げるは恥じゃない」--。まるで幼子に道徳の授業でも賜るかのような高邁な言葉が彼に浴びかせられる中、津乃田だけが「三上さん…」と声を詰まらせる。このシーン、津乃田は三上という一人間がこの社会(≠世界)に適合すべく変容させられていく光景に強烈な違和感を覚えていたのではないか。
三上に対して、真に尊厳を携えて接していたのは結局津乃田だけだったのではないか、と鑑賞後に思う。だからこそ三上の死に接し、彼一人だけが感極まっていたのだろうとも思う。

多くの鑑賞者は「周りの支えがあって三上は変われたね」などと評するのだろう。あくまで私個人の感想だが、「否、津乃田の献身があって三上は変わろうと願うことができた」。町内会長も市役所職員も身元引受人も、皆が皆、はじめから三上と関わる社会的な義務や職責を帯びていたのに対し、津乃田にだけは「どうやって、どのくらい」三上に関わるか否かの選択肢が用意されており、その上で三上に寄り添う道を自らの意思で選び取った。
「あなたも津乃田になれますか?」と西川監督から問われている気がする。個人の献身無くして社会は三上を受け容れられないが、個人の献身だけでは三上を抱き締められないのではないか。そんな問いが今は頭に膠着している。

三上が養護施設で愛想笑いを浮かべ、贈り物のラベンダーを受け取って嗚咽する場面。いったい三上にどんな生き方を社会は提示するべきだったのか?彼が愛想を振り撒き、騙し騙し己を押し殺しながら生きていく他なかった今の社会に私達は何を思うべきか?

タイトルは「すばらしき“世界”」。世界と社会、似ているようで印象が全く違う。世界を愛し、しかして社会を変え続けなくてはならない。よりよい世界を作るのは人間の務めなのだから。
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