春とヒコーキ土岡哲朗

すばらしき世界の春とヒコーキ土岡哲朗のネタバレレビュー・内容・結末

すばらしき世界(2021年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

ひとりひとり違う人間性なのに、社会の中で生きねばならない。

クレイジーおじさんの悪さなんて弱い。
殺人罪で捕まっていた三上の出所から始まる。年下の看守にも敬語をすんなり使っている姿から、更生した人なのかと思ったら、殺人について反省しているわけではない。後悔こそしているが反省はせず、正当防衛をしたまでと思って刑期を過ごした。ここで、だいぶ三上が信用できなくなる。殺人を反省せず、しかしそこで漂う雰囲気は凶悪犯というより、自分が正しいと思っている「偏屈な人」。殺人を犯しても、そんな普通の範疇の厄介者のテンションでしゃべる様子がかえって不気味。刑務所発のバスでシャバに戻りながら、見送る看守に「ざまあみろ」と吐き「今度こそはかたぎぞ」とつぶやく。やはり反省はないが、自分の失敗には後悔している。この、自分の考えが通らなかったら他人がおかしいと思って譲らない人間が、どうやって社会に戻るのか。

渡る世間に鬼はなし。
身元引受人になってくれた弁護士の橋爪功夫妻の家ですき焼きをごちそうになり、優しさに涙する。そこには、自分がいかに優しい世界を棒に振って生きてきたかという後悔もあるだろう。生活相談課の職員から「反社に仕事は紹介できない」と突っぱねられるが、その人が家庭訪問に来たら親身になってくれる優しい人だと分かる。また、スーパーの店長は三上が元受刑者と知っているため万引きを疑うが、それが勘違いと分かるとお詫びのメロンを家まで運び、仲良くなる。向こうが三上を反社という事実や偏見で決めつけたように、観客も三上に厳しい人を冷酷と決めつけてしまったが、そうではない。
一方で、橋爪功にインターホンで門前払いされたときは、いい人かと思ったのに最初だけ親身なだけか、と思ってしまった。が、そのあとも付き合いは続き、できる範囲で面倒を見てくれる。そりゃ、ずっと自分の相手をしてくれる人なんていない。皆、自分の人生があるなりに付き合ってくれている。

皆、社会って面倒だなと思って生きている。
社会に溶け込むのが難しい元受刑者が主人公だが、他の人だって社会に向いていて楽々生きているのではなく、面倒くさいと思っている。それでもここが生きていく場所だからと努力したり心労したりしながら生きている。
スーパーの店長に「テレビの食い物にされるだけじゃない?」と言われて怒ってしまう三上。店長は客観的な判断を言ってくれているが、三上からしたら「自分が良く思ったものをどうして否定するんだ」と憤る。正義のつもりでおやじ狩りをボコボコにして口を血まみれにするのも、明らかにアウトだけど本人は自分の力を褒められる形で使って最高なつもりでいる。他人の言葉を余計なお世話だと怒るのも当然の反応としてあっていいし、でも他人から見て「それでは良くない」と見えたのも事実。
そして、ずるいのが長澤まさみ。完全に三上を面白い被写体としか思わず、それを「世の中の人に感動を与える」など綺麗ごとの大義を並べて三上に納得させるのが、社会に向いている人間の虫酸が走るところ。三上が暴れて津野田が逃げ出すと「カメラを回さないなら暴れてるのを止めろ。止めないなら撮れ」と、テレビマン根性と倫理をどっちも言ってくるのがズルい。私は倫理を分かった上で、そこと違うテレビマン根性で仕事している、という全てをクリアするような言い分。あなたはそうやって要領よく攻略本で生きていてください、と思う。津野田の足を触って、津野田から寄せられるほのかな好意を利用して仕事させる辺り、社会にも性という野性的面があって、人間はあくまでそれに縛られているんだなと思った。

生きづらい責任はどこにあるのか。
店長にテレビを否定され、橋爪功に門前払いされ、津野田にテレビを白紙にされた三上は、仲の良かったヤクザの兄貴のところへ行ってしまう。「元犯罪者や元反社を社会が受け入れないと、その人たちはまた犯罪の世界に戻るしかなくなる」という問題がある。ヤクザの兄貴、白竜夫婦が三上を出迎えてごちそうするシーン、橋爪功夫婦がすき焼きを食べさせてくれた状況と対になっている。社会に受け入れられなかった後、迎え入れてくれるのは結局こっちの世界か……という落胆。しかし、おかみさんが「あんたはもう戻ってきたらいかん」と逃がしてくれて、三上はもう一度社会に復帰する方向に戻れた。
三上が生きるのが下手な原因は何なのか。この映画では、親の愛を受けていないことが原因、と描かれていると思う。でも、劇中でも母性を与える存在がちらほら出てくることから、家族でない人にも埋めてもらえるとこの映画は言っていると思う。人間皆が家族として埋めてくれる可能性がある。しかし、親でないのに他人に親ほどの愛をかけるのは難しい……。

三上の社会進出と死。
戻ってきた三上は、皆と仲直りでき、介護施設で働き始める。ここで、三上によくしてくれる職員が、他の職員から暴力を振るわれているのを目撃する。また正義感の暴走で暴力を振るう想像がよぎってしまう三上だが、そこは抑える成長をした。
その後、暴力を振るっている側の職員が、「あいつおじいさんを風呂に入れっぱなしでゲームしてたんですよ。何かあったらどうすんだよ」と、仕事や入居者への責任感からの怒っていたことが分かる。ここで、三上が踏みとどまってよかったなと思ったが、そのあとその職員は、殴った職員をバカにしたモノマネをする。事情があろうといじめていたのはもちろん悪い。その白黒つかない難しさが現実。
悪意あるモノマネに三上は一瞬呆然とするも、「似てますね」と愛想笑いをしてしまう。これが、三上が社会に順応した瞬間。すなわち正しくないこともする、と決断した瞬間。最悪の成長物語。
三上は、社会に丸め込まれて本当に弱くなってしまった自分に泣く。そして、家に帰った三上は、持病の悪化により死んでしまう。水の合わない社会に入ったことにより、そこでは生きられない生物である三上は死んでしまった、という風に見えた。
皆が三上の遺体を確認しに来て、志半ばの三上の死を受け入れられず、全員が言葉を失う。その最後の立ち位置が絶妙。皆が微妙な距離を取って、全員が打ちのめされてしまい慰める側に回れる人などいず。そして、カメラは空にパンし、『すばらしき世界』とタイトルが出る。どこがだよ、と思ってしまった。これが我々がすばらしいと思って生きなければいけない世界。しかし、面倒で残酷ながら支えてくれる人がたくさんいて、確かにすばらしい。面倒くさい社会、残酷な現実、すばらしき人々。