蟬丸

プラットフォームの蟬丸のネタバレレビュー・内容・結末

プラットフォーム(2019年製作の映画)
4.5

このレビューはネタバレを含みます

 出入口の無い部屋がある。部屋は上にも下にも数多あって階層状になっており、中央に四角い穴が空いていて吹き抜けのようになっている。この塔のような施設では1日に1度上から順に豪華な食事の載った台が降りてくる。しかしその食事は上の階層の人たちの残飯であって徐々に減っていき、絶対に下には行き渡らない。この塔のような施設ではひと月に1度階層が入れ替わる。その日まで生き延びるために、下の階層で人は人を喰うことすら厭わず、信じてもいない神に祈る。

 この場所にひとつだけ持ち込んでいいものに多くの人が選ぶのは、刀や銃などの武器である。他人を犠牲にして自分が生き残るための武器。暴力。しかしあるものは本を、つまり知性を持ってやってきて、おかしな仕組みそのものを変えようとする。この映画のひとつの側面である批判の的である、資本主義社会の勝者たる人々もこと学歴という点では同じように知性や能力を身につけてはいるはずなのだが、大きな違いはそれを武器にして一人勝ちをしようとするのか、それともそれを社会をより良くしようとすることに使うのかというところにある。しかしみんなで富むという選択肢が残念ながら多くの人に無い。

 毎日降りてくる台の上の食事は誰のものだろうか。階層は、食べる順番はたまたまに過ぎない。産まれる家は選べないから身に付けた能力は多く偶然の所産である。稼ぐことのできる能力がその人(の身体)に存する限りそれによって得られた富はその人のものである。私的所有のルールは至って簡単だ。そのルールに則ると能力を分けることが出来ない。それなら、せめてそれによって得られる富を分ける。でもみんな自分がかわいいからそういう発想には至らない。

 この映画のひとつの救いは、実は下の階層が最も天国に近く上の階層が地獄に最も近いところである。戒律を破り、人倫に悖る行為をし続けさえすれば上の階で資本主義的幸福を享受できる。が、その道は地獄へ通じている。そういった皮肉があってなお、みんな資本主義へ自分を適応させようとする。それができないひとは貧しくなる。

 いや宗教を資本主義による格差になぞらえて描かれてもその資本主義っておたくらの宗教から産まれたもんですやん、と言いたくなる気持ちもあるが、資本主義の精神はもはや倫理も道徳もお金になってしまうような感じになってるし、なんか仕方ないな。
蟬丸

蟬丸