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プラットフォームのよーだ育休中のレビュー・感想・評価

プラットフォーム(2019年製作の映画)
3.5
禁煙の認定証を得るために《穴》に入所したGoreng(Ivan Massague)は、48階層で目覚める。殺風景な部屋は床と天井に長方形の穴が空いており、上下階を貫通していた。やがて天井の穴から長方形の台座が大量の残飯を乗せて降りてくる。驚愕するGorengをよそに、同室のTrimagasi(Zorion Eguileor)は嬉々として残飯を貪り始めた。


(՞⸝⸝o̴̶̷̥᷅ ⌑ o̴̶̷̥᷅⸝⸝՞)ワァ...ア

  ちいよだ!

(ˊo̴̶̷̤ꑣo̴̶̷̤ˋ)ハア?


◆ 三種類の人間がいる。

独特な世界観を持った作品でした。独房の様な無機質な部屋で目覚めた主人公とともに、この恐ろしい施設でのルールを学びます。

︎︎︎︎︎︎☑︎︎︎︎︎︎︎ 何でも好きな物を一つだけ持ち込める
︎︎︎︎︎︎☑︎︎︎︎︎︎︎ 部屋は二人一組
︎︎︎︎︎︎☑︎︎︎︎︎︎︎ 部屋は一ヶ月ごとに変わる
︎︎︎︎︎︎☑︎︎︎︎︎︎︎ 食事は台座で上から下まで運ばれる
︎︎︎︎︎︎☑︎︎︎︎︎︎︎ 台座が止まっている間のみ食事ができる

縦型に造られた構造の建物は部屋の中心(天井と床)部に長方形の吹き抜けがあり、《大量の豪華な食事を載せた台座》が滑り降りてきます。《台座が止まっている間だけ食事をすることが出来る》という非常にシンプルなルールですが、人間が内包する《利己性》や《残虐性》が「穴」での生活を地獄へと変えてしまいます。

たまたま上の階層を割り当てられただけの者は、それだけで下の階層の人々を見下します。たまたま裕福な国、地域、家庭に生まれた事で、自分より恵まれない環境に生きる者を蔑視する社会の縮図のようでした。また、先に好き勝手に使った(生きた)者が後に使う誰かのことを考えない、公共物や自然環境への配慮(モラル)に欠けた社会を顕している様です。

加えて、飽くなき《食》への探究心。生きるために命を《いただく》行為のはずが、いつの間にか《快楽》を求める行為へとすり変わり、世界の食料供給のバランスが崩壊している世界情勢を反映しているかのようでした。途上国で《餓死》する人間がいる一方で、先進国で生じている《フードロス》の問題。今作でフードロスは発生しないのですが、上層階の人間が満腹中枢を満たすためだけに食い散らかしてしまうが為に、下層階には残飯すら行き届かずに《共食い》が始まってしまう阿鼻叫喚の地獄絵図が広がっていました。


◆ 上にいる者、下にいる者、転落する者。


(ネタバレ有)


今作でGorengが「穴」へ持ち込んだものは、スペインの古典文学『ドン・キホーテ』でした。「騎士道物語の読みすぎで現実と妄想の区別がつかなくなってしまった主人公が、自ら騎士を名乗り世直しの旅に出る」という同作の様な演出が組み込まれています。

「穴(垂直自主管理センター)」の元職員であるImoguiri(Antonia San Juan)と同室になり、そこで彼女からの押し付けがましい自己犠牲(私の肉を食べて血を飲め、救世主)を受けたことが一つのきっかけとなってGorengは古典文学作品の主人公のように独善的とも取れる世直しの旅に出たように映りました。

聖書やキリスト教を意識したような演出がありましたが、今作においては「それら」は否定されていたと感じます。48階層で過ごす最後の晩、GorengとTrimagasiの会話から二人の信仰心は強いものでは無いことが窺えました。

加えて、穴の「最下層」とされた333は存在しないものと考えます。入所時に独り身であったMiharu(Alexandra Masangkay)に子供が居たとは考えにくく、下層階で共食いが起き始めている状況で、最下層に綺麗な姿の子供が一人で居ることに違和感があるためです。キリスト教におけるエンジェルナンバー(333)を冠する最下層と、処女懐胎を想起させる子供の存在。残酷な世界を救う可能性の芽はGorengの妄想であったのだと考えます。

また、333の階層に二人ずつ割り当てられていたのであれば、施設には《獣の数字》と同じ666名が収容されていたことになります。しかし333がGorengの妄想であるならば、666名の収容も幻想であると判断できます。これは、この世に終焉をもたらすのは悪魔では無く人間だと示唆している様にみえます。

社会主義の失敗を風刺するどころか、人間の《性悪説》こそが《社会基盤=プラットフォーム》であることを指し示しているようでした。


Gorengは幻想に囚われて亡くなったのだと思っています。そして、彼が託した《パンナコッタのメッセージ》は平和ボケした0階層の人間たちには伝わっていないのでしょう。


デザートが残されたのは、
髪の毛が混入していたからだ。


やるせないエンディングですが、そもそも「パンナコッタがメッセージになる」と中途半端に焚き付けた導師も良くなかったと思います。根拠なく「信じること」で現実を「客観視」できなくなってしまうこともまた、『ドン・キホーテ』のように妄想に囚われてしまうことと同義であると皮肉っている様でした。

独善的な行動を起こしたGorengとて、激情に身を任せて殺人を犯しています。《三種類の人間しかいない》という前提通りの結末を迎えました。


𓐄𓐄𓐄𓐄𓐄𓐄𓐄𓐄𓐄𓐄𓐄𓐄𓐄𓐄𓐄𓐄𓐄𓐄𓐄𓐄𓐄𓐄𓐄𓐄𓐄𓐄𓐄 𓈄

ショートフィルム『華麗なる晩餐』に似ているとこ耳に挟んでからずっと気になっていました。あちらよりも随分わかりやすかったです。90分程度の尺にもかかわらず、情報量が多くてレビューでは書ききれないあれやこれやが沢山!

微グロ描写もありましたが、とても見応えのある作品でした!