以前からおもしろそうだな…と思っていた作品がNETFLIXにあったので、ワクワクしながら観てみた。
結構、グロいね。
収容所のようなコンクリート造りの内部には、それぞれの階の中央に、めいっぱい食事が載った大きい台座が行き来する空洞がある。そこから上や下を覗き込むと、さながら延々と続く螺旋階段のようだ。
各階には2名ずつ収容される。
最上階の0階で幾人ものシェフが作った豪勢な料理が、上から順に降ろされる。上の階ほど食べ物が豊富で、階が下がるにしたがって、それは減っていく。
主人公のゴレンが最初に配置された48階でも、それはすでに食い荒らされてぐちゃぐちゃ。それはそれは見事な“残飯”である。
そんな過酷な設定なのだ。
配置される階は月ごとに変わり、上の階に行くこともあれば、下に行くこともある。202階なんて、ひぇ〜ヤメテ〜〜!とかそんな生ぬるいものではなく、まさに生きるか死ぬかの瀬戸際である。同室の人間が食べ物に見えてくる有様だ。
そんな階層ごとの格差もだけど、それに関係なく、人間としての在り方を問うた作品のように感じた。
ゴレンは202階にいたとき、食べ物なんてないから、同室の男に「お前を皮を削いで食う」と言われた。それをゴレンは、「そう決めたのはお前自身。それは上の者や下の者のせいでもないし、この仕組みを作った管理者のせいでもない」と。つまり、環境がそうさせるのではなくて、行動を決めるのはその人の意思なのだ。
環境や置かれた状況に左右されずに自分をしっかり持てよ、と言っているのだと受け取った。
また、ゴレンは、この殺伐とした、上が下を蔑んだり、自分さえ良ければ他はどうでもよかったりという考え方が蔓延する状況を変えたい、連帯をもたらしたいと思い始める。
変化は決して自然には起こらない
ゴレンは6階に配置された時、いよいよ改善を試みる。そのチャレンジ精神は天晴れだ。しかし結局、暴力に次ぐ暴力でしか、この荒れた状況を変えられなかった…
この設定が日本なら、少なくとも、もう少し秩序が保たれたはずと思うのは、身内贔屓が過ぎるかしらね。
実験的でおもしろい作品だった。