櫻イミト

グライド・イン・ブルーの櫻イミトのレビュー・感想・評価

グライド・イン・ブルー(1973年製作の映画)
4.5
アメリカン・ニューシネマ末期の隠れた大傑作。ロックバンド・シカゴのプロデューサーとして知れられるジェームズ・ウィリアム・ガルシオの唯一の監督作。撮影は「明日に向かって撃て!」(1969)などでオスカーを3度受賞したコンラッド・L・ホール。原題:「Electra Glide In Blue」。”エレクトラ・グライド”とは、ハーレーダビッドソンの車名。 ブルーは制服の色から警官のことを指す俗語。

アリゾナ州モニュメント・バレー。白バイ警官ジョン(ロバート・ブレイク)は殺人課の刑事になる事を夢見ていた。バイク「エレクトラ・グライド」に憧れる相棒ジッパーといつものようにハイウェイを取り締まっていたところ、猟銃自殺の通報が入り現場に向かう。検視官は自殺だと断定するがジョンは偽装殺人を見抜き、事件を担当するハーブ刑事の助手に抜擢されて捜査を開始していく。。。

こぅ様からおススメ頂き鑑賞。

これまで本作の存在を知らなかったので、あまりにも傑作で驚いた。アメリカン・ニューシネマのベスト級に好みだった。何故これほどの作品があまり語られることなく埋もれてきたのか?反体制の時代に、体制側に属する警察官を主人公にしたことが敬遠されたのだろうか?実はそのひねりこそミソであり、体制・反体制をひっくるめた同時代のアメリカにカウンターを放ったのが本作と言える。一方、松田優作への明らかな影響も見られた(後述)。

プロローグ、謎めいたアップ画面を重ねた末に発砲が起こり、その只ならぬ緊張感に一気に引き込まれる。明けて大ロングの地平線にタイトルが乗る。この一連に本作の方針が表明されている。うだつの上がらない警官の夢と挫折をクローズアップし、その心情をアメリカの原風景であるモニュメント・バレーに重ねていく。コンラッド・L・ホールの撮影は“静”は美しく“動”は臨場感にあふれ冴えわたっている。

物語は主人公の刑事就任への夢、先輩刑事への憧れと失望、そして周囲の人々と自分自身の孤独が描かれる。その姿を通して、古き良きアメリカ像の欺瞞、資本主義による格差と分断を表そうとしている。さらに個人的に思ったのは、“刑事”は“映画”の暗喩ではないかということだ。

大音楽プロデューサーのジェームズ・ウィリアム・ガルシオが本作を自ら製作・監督しようと考えた理由は何か?彼は子供の頃にジョン・フォード監督の西部劇に親しんだのだとの事。ならばロケ地にモニュメント・バレーを選ぶのは良く解る。しかしその聖地で描かれるのは絶望である。

主人公警官はマッチョに体を鍛え部屋に星条旗を飾る真面目な愛国者。「イージー・ライダー」のポスターを銃で打ち抜き体制の英雄=刑事を目指す。先輩刑事はまるでフォード映画のジョン・ウエインのように英雄的に描かれる。だが、その内実は欺瞞と横暴に満ちた小さい男だった。ガルシオ監督にとって本作は、かつて親しみ憧れたフォード西部劇に”古き良きアメリカ”を重ね、それを否定し決別するための挽歌だったのではないか。

以前のニュー・シネマでは主役となってきたヒッピーたちも、本作では取り締まられる悪役の立場となる。コミューンの描写は「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」(2019)と同じように怪しげで、1969年のマンソン・ファミリーによる連続殺人事件を受けた描写になっている。ヒッピーを演ずるのはシカゴのメンバーと素人たちで妙にリアリティがあった。

アメリカン・ニューシネマを総括しハリウッド西部劇と決別した本作に、残るのは孤独と絶望・・・衝撃的なラストシーンにガルシオ監督自らの作詞作曲でシカゴ演奏の「Tell me(教えてください)」が流れ出す。

~ああ、手遅れにならないように祈ります
~兄弟、姉妹、お母さん、お父さん、みんなのために
~今日、アメリカに神のご加護がありますように
~今日、世界に神のご加護がありますように

ガルシオ監督が再生のための祈りを込めた、唯一にして映画史上に刻まれるべき重要作。

※松田優作は本作の“ジャケットにパンツ一丁”を「探偵物語」(1979)で、ラストシーンの姿を「太陽にほえろ」(1974)で引用している。

※当時、本作がカンヌで上映された際、右翼映画ととられ不評だったとのこと。時代精神の違いなのか何なのか??
櫻イミト

櫻イミト