岡田拓朗

花束みたいな恋をしたの岡田拓朗のレビュー・感想・評価

花束みたいな恋をした(2021年製作の映画)
4.3
花束みたいな恋をした

物凄くよかった。語りたいことが溢れすぎた。

これはなんと表現したらよいのか…まさに坂元裕二さんが描いた恋愛って感じだった。

作品全体の節々に共感できるポイントを入れ込みながら、出会いから別れに至るまでの過程に現実味だけでなく、映画的なファンタジー性もしっかりと内包している。

共感できながらも少し手の届かない(趣味だけでなく、あそこまで趣向までもが合う人にあんな偶然に奇跡のように出会って恋愛に発展していけるのかという)理想の出会いと恋愛と別れが、2人の関係の変化を物語るような伏線回収とともに丁寧に描かれていく。

その伏線回収は2人の心の距離や心情を敏感に表現しているような他の作品にはない繊細な使われ方をしていて、やっぱり唯一無二の尊さを感じた。

現実に起こる会話と心の中で思ってることのモノローグの出し入れも、そのバランスが個人的に絶品だと感じた映画『劇場』を彷彿とさせるくらいに絶妙。

それらを「花束みたいな恋」と表現するセンスも加えて、坂元裕二さんの脚本が好きな自分にはたまらなさすぎる作品だった。

恋愛において幸せだと感じられるポイントやそれぞれの状況における心情まで、お互いがお互いのことを思って考えてるからこそ出てくるそれらで、だからこそより2人ともに感情移入も共感もできた。

前半は恋愛における絶頂期がオーバー過ぎるほどに感じられて、ムズムズしながらも幸せの余韻に圧倒的に浸れる物語となっている。
趣味はともかく、趣向や気までもがあそこまで合うことそのものがもう奇跡的で、そんな恋愛できたらあんな状態になるのも納得。

でも全てが合っていそうだったそれらも後半に全てがそうであったわけではなくて、好きな人との時間だったから、その空間自体が2人にとってのかけがえのない時間だったというのも伏線として回収されていくのは、さらなる想像を超えてきた。

そこから後半にかけて、お互いの生活が変わっていくことで徐々に起こるすれ違いと心が離れていく様には、じわじわと心が抉られる。

麦と絹を結びつけるきっかけにも、一緒にいたいと思い続けられる大事な要素となっていた「お互いがお互いの好きなものを、能動的に一緒にわかち合えること→そこから喜怒哀楽を軸にした感情をお互いに共有し合えること」と「生きていく上での価値観(特に人生の大半を占めるであろう仕事観や生活観)が近しいこと」、「趣味や趣向を軸にした考え方が近しいこと」、そしてそれらを踏まえた「お互いがお互いのことを好きで何よりも大事にしていた関係」が、麦が就職の道を選ぶことで、風向きが変わっていく。

大学のときに付き合ったカップルが社会人になって別れるのはよくあると思うけど、それは今までと大きく生活が変わるのが理由として挙げられると思う。
生活が変わるということは、思った以上に色んな変化に影響を及ぼす。
それがそこに強くのめり込まないといけない時間が大半になればなるほど、それ以外のことを考えるいとまがなくなり、いつの間にか考え方や価値観、そこから触れるものがガラッと変わっていく。

様々なカルチャーやエンタメを享受していた麦が、ビジネス本やパズドラにしかハマらなくなっていく現象には怖さすら覚えるほどで、それくらい仕事(人生の大半を費やすこと)は人を変えるんだと思う。

麦のように生活のために仕事漬けになる日々と絹のように好きなことに触れながらやりたいに近いことを仕事にする日々。
どちらも間違ってるわけではないし、自分がどちらもを経験してるから、麦と絹の気持ちや考えどちらもに共感ができて、だからこそ余計に心が離れていく2人を見ているのが辛くなった。麦も初めは絹と同じであったから尚更。

特に絹が新たな就職先を見つけたときの、麦の態度はなかなかきつかった。
悪いことではないけど、だんだん麦が絹の両親みたいになっていって、一方的な価値観で否定するようにもなって。

この作品を観て思ったのは、お互いが好きな絶頂期の恋愛ってやっぱり無敵なんだなと。
本当にそれ以外のことがどうでもよくなるくらいの強度を持っていて、それだけのために生きていたいと思えるし、それだけで生きていける。

2人の関係ももう少し何とかしようがあったと思うけど、それが普段の生活の中では気付けなくて、別れを決断する(もう会えなくなると悟ったまさにその)ときに気づき、後悔するのもまた恋愛にはつきもの。

絶頂期のような恋愛をずっと求める絹と関係においてのハードルを下げてでも絹と一緒にいたいと思う麦の、この2人の価値観の差こそが大きな溝として別れを決定づけたものなのかなとも思った。

楽しくて幸せで辛くて切なくて…そして全てが愛おしく心の中に置いておきたい恋愛映画だった。

全シーン好きだったけど、ファミレスシーンは特に最高で、中でも最後の一連のシークエンスがたまらなかった。

P.S.
個人的に特にツボだったのが小ネタ。
・麦の持っているリュックがKELTY
・二人で観ていた映画に大好きな『希望のかなた』が出てきたこと(ただ人によってはつまらない作品になると思っているので、それが2人の心が離れていってるのを表す意味でも絶妙)
・絹が麦と観に行く予定だったけど忙しくて予定が合わなかったであろう映画がクーリンチェ(おそらく牯嶺街少年殺人事件のこと)→上映時間長いかつ重たい作品で、映画に疎遠になってきてる麦は乗り気じゃないだろうなーというのがわかる映画選定も含めてツボだった。
・カラオケの選曲にきのこ帝国のクロノスタシスがあったこと。

脇を固めるキャスティングにもこだわりが見えて『街の上で』『南瓜とマヨネーズ』『愛がなんだ』『佐々木、イン、マイマイン』『君が世界のはじまり』を想起するような邦画好きにはたまらないキャスティングだった。

気になった点があるとしたら、ビジネスとエンタメやカルチャーが完全に相対する断絶の象徴として描かれていた点。
これは坂元裕二さんにビジネス(サラリーマンの仕事)へのトラウマみたいなのがあるのかな?
個人的に両立できるモノだと思ってる自分は、麦が就職したからといってあそこまでカルチャーやエンタメに興味を示さなくなっていって、絹への態度があそこまで変わるのには忙しさやそのことを考える余裕がなくなったとしても違和感を感じた。

自分はビジネスに感情を注ぎ込むものこそがカルチャーやエンタメだと思ってるし、自分の場合は麦と真逆(ビジネスへの興味→カルチャーやエンタメへの興味、サラリーマン→フリーランス)に興味や境遇が変わっていって、結果的にどちらもが人生を彩る上では大事だと思ってる部分があるから。
そんなことを思っている自分の方が特殊なのかな…最近こういう断絶に関して考えさせられることが多い。マジョリティーとマイノリティーや流行りとニッチの断絶も含めて。
岡田拓朗

岡田拓朗