マンモスさちよ95歳

花束みたいな恋をしたのマンモスさちよ95歳のレビュー・感想・評価

花束みたいな恋をした(2021年製作の映画)
3.3
心情を展開させる映画かと思ったら、大衆うけ傾向が強い作品だった。AIに学習させたら作ってきそうな映画。
一般化の極限の形だなと感じてしまった。興行収入を狙いました、という気持ちが拭えない。
これを皆見て感動するのかと思うと冷める。

映画の要素が抜けていたように感じる。

以下、ネタバレは含まないが思ったことをまとめてみる。

まず全てを説明しすぎている。心の声なのかナレーターなのかも分からないし、纏めて全てを代弁している。その上、心の変化も自らが言語化してしまっているので受け取らせる側の想像を無視し読み取らせない。その権利を剥奪したような気がしてしまった。見ている人に全てを押し付けているように思えた。

ラジオで聞いても、映画で見るのとほぼ何も変わらず話もわかるし、どう感じ方が変化してすれ違っていくのかも分かるだろう。「映像で伝えること」を諦めたのか、勿体ない。

もし主演が一般人キャストと渡辺大知だったら、視聴者は全く別の物語を受け取るのではないだろうか。恋愛を美化しすぎている。もっとすれ違いも挫折も、根深くて粘り強くて汚いものなのではないだろうか。どんな部分も上手く切り貼りして綺麗にすぎている。だからすれ違いや心の離れ方がチープで軽い。その瞬間だけ怒ったり泣いたりしてるのかなと思ってしまう。なんだろうお芝居感というか、作られているものを見ている、というのを見ながら思ってしまう。

そして全体的にキザ。冒頭に述べた大衆受けとうのは、セリフもくさいしカメラワークもありきたりだった。例えば前者は出会ってすぐの会話、後者は同じスニーカーをチルトアップダウンさせるシーン。

台本について言うとセリフが陰キャ感が溢れすぎている。若い人が書いたら全く違う映画になるだろう。考え方が古い。セリフからも「用意されたもの」なのを感じる。

主演が先程のような方々だったら、最後の、歩きながら手をあげるシーンなんてダサすぎる。出会う時の会話も有村架純と菅田将暉だからギリギリ耐えたものの見ていて気持ち悪かった。

菅田将暉が上手だったからか有村架純の演技の物足りなさが目立った。

居酒屋のシーン繋ぎが変な箇所(素材が足りなかったと思われる)が一部あり、映画らしい決まっているカットが少なかった。

以上から、伝える気がないのに押し付けすぎてしまい映画ではなくドラマのような作品であったし、2時間スペシャルドラマで十分。

責めている訳では無い。期待していた映画ではなく残念だった。

あとクロノスタシスって知らなかった。