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花束みたいな恋をしたのariy0shiのレビュー・感想・評価

花束みたいな恋をした(2021年製作の映画)
4.2
つい先日、1996年の大ヒットドラマ『ロングバケーション』を観直す機会があった。あの時分には大学生で、つまりロンバケ世代のど真ん中で、なんなら当時印象に残ったセリフだってそらで言えるぐらいだけど、21世紀の今になってみると、これが全然ピンとこなかった。まったく今っぽくないのだ。

それと比べると、2021年の映画『花束みたいな恋をした』は、なるほど、ロンバケ世代としてもこちらの方が断然に“近さ”を感じるものだった。もちろんドラマと映画という違いもあり直接的な比較はナンセンスだけど、恋愛や男女の仲をテーマとしているのは同じ。ロンバケ世代であっても、自分のなかでは明らかに花束の方がグッとくるのだ。

時代の変化と言ってしまえばそれまでだが、20世紀末までのラブストーリーは、一般にはなかなかいないような登場人物の設定や、おしゃれなマンションが舞台で、奇想天外なハプニングで賑やかしながら、男と女のくっついた離れたを描いていた。どこか浮世離れしているところに視聴者は惹きつけられ、憧れつつ、それらを身近な恋愛体験や感情へと結びつけるような暗黙のフローがあった。

それが2000年代、2010年代に入ると、各キャラクター設定がより精緻に描かれるようになり、憧れから等身大に物語の性質が変わっていったように思う。かつての夢見がちなストーリーはもはや古臭くなり、キャラクターのリアルさに共感できるかどうかがカギを握るようになった。

例えばロンバケの主人公であるピアニスト志望の瀬名(木村拓哉)が住んでいたのは、通称“セナマン”と呼ばれたクラシックな装いの瀟酒なマンション。そこに、結婚式当日にフィアンセに逃げられた南(山口智子)が転がり込んでくるというシナリオは、このご時世、おとぎ話の笑い話にしかならない。あまりに荒唐無稽であり、どこにも同調できる接点がない。

一方で花束では、麦(菅田将暉)と絹(有村架純)、どこにでもいそうな若者2人が、多摩川近くのアパートに暮らす。知り合って、同棲を始め、愛に満ちた夢のような蜜月を過ごしながら、やがて就活や仕事という生活の現実に足を踏み入れると、2人のすれ違いが多くなる──なんて、ああいう年齢の時期に関係なく、多くのひとが「あるある」と語れそうなエピソードばかり。生々しい、現実感ある舞台として受け入れることができるのだ。

映画の最後、麦と絹の別れのシーンは号泣ものだ。この関係ももう終わり、と気がついていた2人だったけど、それでも「やり直そう」と言わずにはいられなかったのが男の方だったということも、しかし決然と「終わりにしよう」と突っぱねたのが女の方だったことも、極めて自然に受け止められた。ああ、そうだよね、こうなるようね、と。

ただし、1点だけリアリティが欠けているところがあった。我々の日常的な世界では、あそこまでキレイに幕引きできるというのは稀なのだ。だから「花束みたいな」のである。
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