ニューランド

青空恋をのせてのニューランドのレビュー・感想・評価

青空恋をのせて(1932年製作の映画)
3.0
✔『青空恋をのせて』(3.0p)及び『パトニー·スウォープ』(3.1p)▶️▶️

 映画素材の収集·保存に関しては、映画を観始めた頃は、フランスのシネマテークだけが突出した存在だった。日本のFセンターも、当時はあまりに貧弱なな存在だった。そもそも、映画に古典とされる保管に値する物が存在するのか、疑問視されていた。風俗と一体化した映画はあっという間に風化し、文学や演劇とは違う、と熱心な映画ファンでも半数は思ってた時代。時代は変わり、今は保存活動の団体·財団の創立が跡を絶たない。そういった中でも新しい方に属すAFAの特集の最中で、定番と新規の境が、よく見えては来ないが、プラグラミングの活力はある。
 ヘイズコード抵触で、カット部復活ウリだが、音ネガ欠落以上に再録音と、『アタラント号』以上に余計なお節介を焼いたらしいヒューズRKO作品『青空~』だが、今ひとつ復元の有り難みが伝わらない、台詞の元からのダサさは引っ掛かる。見世物としては充分だ。
 俯瞰へも含めた何とも大袈裟な前後長距離移動や、ロケ地でも自在なフォロー長め移動の、腕力でぐんぐん押してく作品で、中尉付きの部下の個人的恋の成行き賭けノートは、面白いが、(一次大戦中)欧連合国側の手を打合せての、仏軍トップの士気を弱める妖艶大女優の伊引取りに対し、心理戦駆引きに長けた彼女の、舞台大役への復帰大作戦。恋の駆引き中の仏中尉を使っての、彼の通行証なしと憲兵の目のネックを潜りりぬける、彼の飛行技術での帰還と、彼の罪は本国の要人再度落としてのクリア、結婚へ。彼の方も強者で、翻弄されんとなると、腕力·暴力で主導権ヒフティヒフティ戻し。只、やはり展開にデリケートな洒落は欠けてて、垢抜けはしない。
 それでも始めへんの、ベネチアのカーニバルの、フェリーニや(舞台違えど)カルネの高名な作を彷彿とさせる、仮装から紙片·人の量、建造物や運河での移動感、そして一部を除き、実写ふんだん、爽快会心の、アビエイター·ヒューズの面目躍如ね空中飛行シーン·その相互絡みの、リッチさには溜飲を下げる。
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 一般ロードショーにも、AFAが復元にに携わっ作品が、流通してた。特集でも特異·前衛で、ルーカス財団と協力した一連作の中か、R·ダウニーのSr.の方の監督代表作で、併映作の監督のP·T·Aも影響を受けたという、先駆的メディア風刺皮肉喜劇『パトニ~』。劇中劇?の製作CMらのカラーパートの、美術·造型·才気·速度リズム·風俗·裸体·性らが自由に見事にうねりには目を見張るが、何のCMなのかあまりピンとはこない。
 モノクロ本編は、逆に内にイジケ屈折しての、現代最先端社会への、揶揄·風刺世界は、端から構築無視·破壊的、展望拒否的で、徹底して乾いてるが、人情派としては、冴えはみとめても、R·クラインらの映画を想起し、愉しくはない映画時空。ニヒルさも匂わせない乾きぶり。ナンセンスが極まってる。
 広角·自在カメラ移動·シャープカッティング·内外上下空間巾·奇天烈ビジュアルのヘリ乗り付け·会議参入から始まり、狭量なのか自由なのか、おそらく共存の、唖然唖然の、直截的カットと現れの連続。行き詰まり対策会議中社長急死の大手広告代理店、重役内選挙で責任放棄票が黒人音楽担当に偶然集まる「間違い」、新社長の「全て壊して、0から創る」方針で有色人種に首脳刷新·社名も『トゥルース&ソウル』とす、「独創」重んじ「ハレンチ」赦すも·「タバコと銃玩具」宣伝受付けない独自の「道徳」「暴力」観、奇型人の国家首脳と妙な癒着·軋轢、何故か社内でも「アラブ人」「配達(伝達)係」だけは冷遇、そこからテロ発生(も不発弾で回避)、「革命」度·再「分配」甘いと「暴力」蔓延、反動意見吐いて社を離れると·残る首脳の気概が確かめられる、が·やはり皆の関心は金·それに長けた社長についてかんとす、集積続く紙幣の全てを燃やし尽くす。といった展開で潤されはしない。アメリカ的権力·道徳·暴力·メディアもの、辛め攪乱破壊コメディ、といえばそんな世界。
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