忘れていたいろいろな感情に触れることができてよかった。
子どもを対等なひとりの人間として扱うのは難しいことだと思う。自分が理性的だと信じている大人ほど。でもかつて自分がそうだったように、子どもだって幼いなりににいろいろ考えたり悩んだりしてる。無論それを表現する手立ては拙いから、大人はそれにちゃんと耳を傾ける必要がある。いや、大人だろうと子どもだろうとひとに対してはそういう態度であるべきだ。完璧にできなくても、手探りでもいい。手探りしようとすることが大事。ジョニーのように。
子どもという理解不能な存在を前にした大人の戸惑いをうまく描いていたけれど、成長を経てお互いある程度世界について「わかり合っている」(本当に?)大人同士のコミュニケーションも、社交の皮膜を一枚剥いだらこんな感じなんだろうと思う。ただみんな「大人だから」泣いたり叫んだりしない(できない)だけで。
仮構的で本当のところは存在しない、長幼や男女といった壁なしにただのひとりの人間同士としてひとと触れ合いたい、という願望が最近はある。あまりにも自由すぎて、戸惑ってしまうだろうか。