YAJ

カモン カモンのYAJのネタバレレビュー・内容・結末

カモン カモン(2021年製作の映画)
3.3

このレビューはネタバレを含みます

【頼むよ】

「大人も子供もどっちもどっち」
「君の話を聞かせて」
「大丈夫じゃなくても、大丈夫」

 ネットでちょっと拾っただけでフライヤが3種類。しかも、そのどれもに違うキャッチコピーが付いている。

 これは、『もののけ姫』のコピーが「生きろ。」以外に、「見とどけよ!神殺しがいかなるものか」や、「でも人間を許すことはできない」などなど、あれこれ付いてるようなもので、大事なメッセージがブレやしないか?(糸井重里も納得しないだろう?!笑)

 タイトルの「C‘mon」も、「こっち来い」の第一義の他、「しっかりしろよ」や、(あきれ気味に)「おいおい」的な意味がある。その違いをキャッチコピーで表現しても面白かったかもしれない(翻訳松浦美奈は本作の“C’mon”に特別な訳を当てていたけどね)。
 要は、作品も、いろんな目線で見ることのできる内容でもあった。

 公式サイトのINTRODUCTIONを要約すると、
“ラジオジャーナリストの主人公が、妹の息子である9歳の甥の面倒をみることになり、子育ての厳しさを味わいながら、貴重な体験を通し、互いの孤独や自身の内面に向きあうことで新たな絆を見出して・・・”
 的なお話。

 これを、ホアキン・フェニックスが『JOKER』(19)の次に選んだ作品だと期待して鑑賞すると — そういう惹句がやたら踊っているが — 大いにミスリードされるというか、納得いかないものになるかもしれない。
 むしろ、『her/世界でひとつの彼女』(13)や『ビューティフル・デイ』(17)、『ドント・ウォーリー』(18)のホアキンが、オスカー受賞を経て、社会や人との距離感や関係構築の難しさを改めて演じてみせた、というところではないだろうか。

 ホアキン演じる寡(やもめ)男の目線で育児の難しさを知るもよし、9歳のジェシー(ウディ・ノーマン)の立場から子供への社会のシワ寄せを感じるもよし、もっとストレートに、ジェシーの母親ヴィヴ(ギャビー・ホフマン)の立場に、日常のあらゆる雑事がいかに女性の役割とされ負担が圧し掛かっているのかを汲み取ってもいい。そんな多面的なお話。

 特に、劇中いくつか本の引用があるが、ジャクリーン・ローズ著『Mothers: An Essay on Love and Cruelty』の「母」という存在について書かれた文章の引用が、ヴィヴの「母親であること」や社会における育児負担の男女格差の問題を浮き彫りにしていて印象的だった。

 モノクロで処理することで世界観を普遍化し、空撮でデトロイト、NY、LAなどを俯瞰した撮影は、人口過密の大都会という病巣を写し出しているようで、行き過ぎた近代化、経済格差、限界を迎えている資本主義の歪みが、大人にも子どもにも多大なるストレスとなっている今という時代を、小さなひと家族の姿を通して描いているとも言える。

 撮影が、社会派の作品を多く手掛けるケン・ローチ組のロビー・ライアンだというのも納得か。



(ネタバレ含む)



 子育てなんかしたことない男が、やむに已まれず奮闘する。ふと『クレイマー・クレイマー』(79)を思い出してしまう我が同世代は多いのでは?
 インタビュアーのジョン、まずはいつもの調子でジェシーにインタビューを試みるが体よく断られる。これは、『クレイマー・~』の、フレンチトーストだな、とピンと来る。首尾よく、最後に気心知れて対話できるようになるのだろう予想したが、ちょっとヒネった形で成就される伏線回収には、ニヤリとさせられた。

 とにかく『クレイマー・~』の当時は、― 要は、1970年代は — 男性の育児問題、夫婦のすれ違い、親権争いなどを描いて、ホロリとさせればそれでアカデミー賞ものの作品となったものが、21世紀の現代はそれくらいじゃ済まないと暗澹とさせられる。

 兄妹は、この1年で認知症の母親の介護で衝突し、妹の夫は精神疾患で入院し社会復帰のためのリハビリが必要。ラジオインタビュアーのジョンは、アメリカのマイノリティの子どもたちの将来の問題を番組で取り上げ、各地に出向いて子どもたちの声を拾っていたりする。
 母子家庭で育つ子どもだけでなく、大人も社会も、どんだけ病んでいるんだ、ということがあらゆるシーンで描かれていくのだった。そんな内容で、ハートウォーミングな、なんて作品紹介がよくできるもんだ。
 ものすごく、重い作品ではある、実は。

 ただ、それを魅せる作品にしたのは、子ども相手でも真剣に対峙し、人としての関係構築を表現したホアキンの演技と、単に大人に合わせて、そつなく可愛らしくレスポンスするだけではない、ある意味、大人顔負けの演技を見せたウディ・ノーマンあってのこと。二人の掛け合いは、確かにハートウォーミングであったと言っていいかと。
 そもそも、監督のマイク・ミルズの作風からして、家族の(しかも本人の実体験に基づいた)身近な問題を作品に昇華させていく手法なので、本作でも彼自身、病めるアメリカを描こうと大上段には構えてないのかもしれない。

 でも、馬鹿げた一極集中で、自国民の精神を蝕んでいる現状を放置して、やたらと外に向かってちょっかい出してんじゃないぞ、と変な邪念も抱きながら鑑賞してしまった。
 C’mon(頼むよ)、アメリカさんよ・・・
YAJ

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