マチ

ミッドナイトスワンのマチのネタバレレビュー・内容・結末

ミッドナイトスワン(2020年製作の映画)
2.6

このレビューはネタバレを含みます

一果と凪沙が同じ画面に収まらないで分離したまま終わった感。

服部樹咲のこの映画での被写体としての存在は本当に素晴らしい。撮影者には新人俳優が演技を覚えていくうちに生じる変化や眩しいダンスに心を奪われ、いつしかカメラをまわすというより、カメラをまわさせられているといった作用が生じていたのではないだろうか。全体に一果を追う画のほうが凪沙を語る画より強かったと思う。

一方、凪沙のストーリーはどこか構図もセリフも状況や感情の説明ばかりで、作り手がトランスジェンダーを語り深める自信がないのか、一つ一つのエピソードが深まっていかないような、行って欲しいところまで辿り着ついてくれないような印象があった。

二人の強弱の違いは、ラストの海のシーンで特に顕著にあらわれていたと思う。凪沙は割と淡泊に最期を迎えたと思う一方、一果が波に逆らって進む姿の方が意図も伝わり迫力がある。このシーンの二つの人物の描写を見て、初めから一果と一果を取り巻く人達の映画にしていたらとんでもない大傑作になったような気がする。

夜の公園で老紳士に話しかけられる場面があるが、例えば「長い散歩」の緒形拳のような高齢男性と、隠れた優秀な羽を持つ少女の話であれば話の収まりがいいのかもしれない。夜の公園で練習する一果とあのような人物を出会わせていたら、画面がここまで分離した印象がなかったように思う。

後半は前半までの作劇が緩かったせいもあってかなり引いてしまっていた。髪を切って現れたり、手術シーンを差し込んだりの状況説明は丁寧にするのに、当初は一果に冷たく接していたのにどうして心を許していったのか、母親になりたいと思うようになったのか、などの凪沙の変化の描写ははっきりいって足りていない。「きっと凪沙のような人は子供と短期間生活すると多少その子が不愛想でも母性のようなものが芽生えるだろう。そこは観客が察するだろう。」と作り手の観客に対する甘えがあるのかくらいまで思った。もしそうならトランスジェンダーを扱う以前の問題である。恥ずかしげもなく胸を出しっぱなしにしていた場面、母親になりたい覚悟を表すと同時に、凪沙の人生が軽く扱われてしまった表現にも思えて、この辺は完全についていけなくなってしまった。

ただし、ある一つが突出していればそれだけで足りていなかった部分を補い傑作に昇華させることができる作品もある。SFやホラー等では、キャラクターやSF設定が良ければ、なぜこの人はこういう行動をとるのか、など些細な問題になることがある(LGBTQ等のテーマは行動動機の基準が厳しめになってしまうのかもしれない)。この作品は大傑作には辿り着けなかったとは思うが、服部樹咲の存在という突出した魅力がある作品であることは間違いなかった。
服部樹咲には、ほかの演技もこれから沢山見せてもらいたい。この映画に限っては引き算の演技も出来ていたと思うし、それでいて終始、雄弁に伝える存在であり続けた。また渋谷慶一郎の音楽はスタッフ、キャストの誰よりも観客を世界に引きずりこむことに成功していた。
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