ぽち

天才ヴァイオリニストと消えた旋律のぽちのレビュー・感想・評価

3.0
ドヴィドルの行方を追う過程はご都合主義ではあるが盛り上がり良いのだが、そのあと終盤の展開とオチのつけ方がイマイチで、急降下してしまった作品。

ニューヨークまでの追跡は面白かったが、そこであっさり見つかってしまい驚きが無いのはマイナス。

ここからがいかにもというストーリー展開。
コンサートを依頼するがなぜ?この理由が無い。
演奏シーンで盛り上げたい、あの曲を演奏させたいという監督の狙いは分かるのだが、必然性が無いのは脚本の悪さ。

せめてマーティンがドヴィドルをヴァイオリニストとして成功させたいとかしてほしい。

そして、二か月後にコンサートを開くのだが、これはほとんどファンタジー。
普通のミュージシャンがどれほどの練習量でレベルを維持しているかちょっとでも知っていたら、こんなストーリーは無しだろう。

20代で毎日練習に明け暮れ、ブレイク寸前で行方不明。その後35年間ほとんど練習をせずに、たった二ヶ月の練習で人を感動させられるレベルに復帰。
ありえねぇ~。

まぁ、まだ二カ月あるだけましか。凄い映画だとその場で名演奏とかしちゃったり、譜面無しでコード進行も決めずにいきなりバンド演奏とかあるからな。

そう言えば「一日休んだら三日戻ると思え」って私の師匠がよく言っていたなぁ~。

さて、オチは宗教色が濃いもので「個を捨てる」という禅問答で出そうな「いかにも」な理由。
これは字幕の翻訳がいけないのかもしれないが、あまりに理不尽で意味不明で矛盾に満ちた考え方。

信仰を捨てたシーンで、大胆なストーリーに感心したが、家族の名前を残してくれたことだけでまた信仰に戻るってのも弱い理由づけだ。

でも「宗教はコートのようなもの」は名言かな。


余談。
「個を捨てる」
きっと字幕が言葉足らずなのだろう。「人のために尽くす」ぐらいの意味だと思う。

けど、まぁせっかく美味しいワードが出たのでちょっと書いておこう。

完全に「個」を持たないという事は、集団として一つの思考で動く「集合体」という事になる。
よくハードSFなどに出てくる「集合体生命」

最初はオースン・スコット・カードの「エンダーのゲーム」かな。
挨拶がわりに「個」を数千殺して、「私はここにいますよ」って意思表示したけど、人類にとっては宣戦布告。
「よう!」って肩叩いてたら数十個の肩の細胞が死んだので、怒って殴り合い、って感じかな。

その後はパクリの宇宙人がいっぱい出た。日本だとマクロスとか。

個を無くすという事はそういうことなので、今作での「なんとなくカッコよさげだから、こんな思想を入れてみよう」的に使うと途端に破綻する設定と言えよう。
ぽち

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