このレビューはネタバレを含みます
【死生観】
わが家お気に入りのテーマ、WWⅡのナチス、ユダヤ人関連作品。
さすがに現代のお話とするには、その生存者も高齢者になり物語として成り立ちにくい。舞台を1980年代に設定し、戦時下の少年期、戦後の青年期、そしてその後の長き時を経て、35年間の空白を埋める謎解きの旅としてのミステリーを紡ぎあげた。
ほとんど予備知識なしでの鑑賞だったので(たいてい、そうですが)、1950年代の青年期から始まる序盤と、その後、少年時代の1940年代を演じるそれぞれの役者さんのどれが誰かが、正直なところ、見分けがつかなくて、やや混乱。
ついでに言えば、35年後の姿も、少年期、青年期からの繋がりが感じられない配役で、作品への没入感に乏しく、ストーリーに乗り遅れつつの鑑賞となってしまった。
戦中・戦後の話、あるいは音楽の話というより、これは民族と信仰にまつわる話か。無宗教な自分には腑に落ちないところもあるが、いろいろ考えさせられる作品ではあった。
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(ネタバレ含む)
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「民族性は、水に溶いたり洗い流すことは出来ない。皮膚と同じで、はがすこともできない。
宗教は違う。コートのようなものだ。嫌なら脱げばいい。」
主人公のひとり、天才ヴァイオリニストのドヴィドルの言葉だ(詳細は違うと思います。うろ覚え)。
序盤でのこの台詞が、どっちの方向へ行くのだろうか?と鑑賞。そこが謎解きの鍵となる、と。
ところが、結果、民族性=信仰なんじゃないかな、特にユダヤ人にとっては、という結末。民族性と信仰こそが「皮膚と同じではがせない」ものなんじゃないだろうかと思わされた。
原題の「The Song of Names」は、作品中、とあるユダヤ人コミュニティでラビが謳い上げる歌のタイトル。この逸話は本作用の創作だそうだが、さも実在したかと思わせる哀切あるエピソードになっていた。
ドヴィドルは言う。収容所で、なにが一番恐ろしいことか? 死ぬことではない。生きていた者の記憶を語り継ぐ家族が居なくなることだと。
これは、「う~む・・・」と考えさせられましたよ。と、同時に、「人は二度死ぬ」という、永六輔さんの言葉を思い出していた。
1度目は肉体の死、2度目は誰からも忘れ去られたとき。本作のメッセージはそれと同意のことだね。
つまり、本作は死生観のお話だったのかもしれない。
ミステリーとしては、面白いものではなかったです(むしろ陳腐で退屈)。 でも、ちょっと考えさせられました。