ずどこんちょ

ファーストラヴのずどこんちょのレビュー・感想・評価

ファーストラヴ(2021年製作の映画)
3.3
原作は島本理生の直木賞受賞作です。
表向きはサスペンス。しかし、その中身はサスペンスを期待して開けてみるとやや違うかもしれません。
例えば事件の真相とか、思っていたよりもあっけない。驚きも衝撃もなく、言ってしまえば、わざわざ映画の物語にするような事件ではありませんでした。
しかし、その事件の背景にあった被疑者である環菜の生育環境にドラマの焦点が当てられます。
女子大生は、なぜ父親を刺したのか?その環境を調べた時、心と身体の傷に満ちたトラウマを抱えた背景が浮き彫りになったのです。本作の中身はここです。

そんな環菜を調べるのが、公認心理師の由紀です。
女子大生がアナウンサー試験に落ちた直後に父親を刺し殺した。センセーショナルな事件なだけに、マスコミから興味本位で注目を浴びるこの事件。「動機はそちらで見つけてください」と取り調べで言っていたなどと、人々の耳目を集める部分だけが取り沙汰されます。
由紀は環菜が事件を起こした心理的背景を調べるため、彼女やその周辺に聞き取り調査を始めるのですが、やがて環菜のこれまでの生育環境を知って、由紀は徐々に彼女に同調していきます。
なぜなら、由紀自身もまた、父親に似たようなトラウマを抱えていたから。

環菜の背景も、由紀の背景も吐き気がするほど辛いものです。
しかもそれらが絶妙な塩梅で、「子供に虐待をしているという罪悪感を感じていない」というスケールなのが上手い。
しかし、思春期の少女にとってデッサン会で見知らぬ男子学生に囲まれて眺められるというのは激しいストレスになるでしょうし、本来助けになるはずの親がそれを積極的に進めているというのが無神経で恐ろしい話です。
環菜の父は、芸術として自身がやっている事に疑問や違和感を一切感じていないのです。

一方、由紀の背景も絶妙です。由紀の父親は確かに過ちを犯していたのですが、あくまで娘の前では良き父親として接していたのです。
彼女が父親の過ちを知ってしまったのは、ダッシュボードを開けてしまったから。それは開けてはいけないパンドラの箱だったわけです。それでも彼女は目にしてしまった事実に蓋をして、何も感じないようにしていました。
トドメを刺したのは成人式で母親が真実を告げた時ですね。なぜ、わざわざ幼い頃の由紀のトラウマの蓋を開けるようなことをする必要があったのか。
理解し難い親心です。しかし、大人である私たちはどこかで子どもの心を傷付ける何気ない一言を口にしたり、態度や表情で表しているのかもしれません。
「そんなこと」と思うことでも、些細なことで小さな者たちの声は封じられてしまうのです。

いずれにしても、父親や母親たちは自分たちのしている事に罪の意識はありません。ここが気持ち悪いのです。
罪の意識がない中で、子供はどんどん傷ついていきます。
もうデッサン会はやめたいと助けを求めても、「なんてこと言うんだ」と一蹴されます。自分の身体を傷つけて、精神的に病んでいることを母親に意思表示しても「気持ち悪い」と軽蔑されます。
助けを求めることは何もできない。そんな中で彼女は自分の気持ちを押し殺してきたのです。

由紀は環菜に関わるうちに、境遇や心境が重なる部分が多く、次第に感情移入し過ぎていて心理師としてこれ以上彼女に肩入れするのは危ない様子が見られました。
心理分析ではなく、彼女を「助けよう」としてしまっています。どうにかして無罪にしてあげよう、とも。
心理師としては行き過ぎだと思うのですが、それでも彼女が自身の過去を打ち明けたから、環菜は事件の真相を語り始めたのでしょう。
環菜の周りにいた人々は誰も彼女の声を聞いてくれませんでした。だからこそ、彼女の周りにいた大人たちを否定し、彼女を肯定してくれた由紀に心を開いたのかもしれません。

「つらいことから救ってくれたのは、血を流すことだけでした」

環菜の証言が悲しく響きます。
本音の声が通じない中で、自分を傷つけることだけが思いを伝える手段だった環菜。
そんな法廷で、裕二さんが証言台に立ったのは二つ目の救いの手でした。
長い時を経て、すっかり家庭もいる彼にとって、あの頃の2人の関係性を公にすることはリスクしかありません。それでも彼が向き合ったのは、自身の「罪の意識」に気付いたからです。
法廷でも自分が追い詰めたことの罪に気付かずに娘を理解できない環菜の母親に対して、裕二さんはあの時もっと上手い対処をしていればという罪の意識に気付き、彼なりの責任を果たすために証言台に立ったのです。あの時、裕二さんは彼女の救いの声を拾ってあげられなかったから。
彼女のことを救ってくれる大人がいる。そのことに環菜は涙を流します。
もっとも、法廷という場所に立つまで彼女の声が社会にも、そればかりか家族にすらも届かなかったというのは悲しいものを感じます。
声なき者の声、というものは確かにこの世界にあるのだろうと思います。

北川景子が演じる公認心理師の語り口調は、確かに心理カウンセラーっぽいゆっくり抑揚の少ない口調で良かったです。
穏やかな目でしっかり相手の目を見て傾聴する北川景子は、本物の心理師のようでした。
環菜を演じた芳根京子もすごい。特に事件を起こした後に自宅に帰ってきた時の茫然とした環菜の表情はゾッとします。目が死んでるんですよね。人が壊れた時って、こんな目をするのではないでしょうか。

環菜の弁護にあたる迦葉を演じたのは中村倫也。由紀の義理の弟になるのですが、実は由紀とは大学時代にある秘密を共有しています。
迦葉は幼い頃に両親を亡くし、今は由紀の夫になっているいとこの我聞がいる家庭に引き取られました。我聞は迦葉にとても優しくて面倒見が良くて、実の弟のように可愛がってくれました。もちろん迦葉もそのことに感謝しており、我聞のことを尊敬しています。
孤独だった迦葉の気持ちを優しく受け入れてくれたのは、我聞だったのです。そして我聞は由紀のトラウマも受け入れます。
環菜の周りに一人、たった一人でも我聞のような人間がいてくれたら、彼女は苦しいことから救われたでしょう。
きっとそれが本当は裕二さんだったのでしょうけど、彼にはそれができなかった。だからこそ今、彼は罪と向き合ったのです。

写真という形で我聞は救いを与えているのですが、我聞こそ心理師に相応しい男だと感じました。
それにしても、窪塚洋介は雰囲気があって実にカッコ良かったです。