残酷な正義の結末。
映像ディレクター「私はどっちの味方もすることはできませんが、光を当てることはできます」
なるほど、映像を撮るとはなにかに光を当てる行為なのか。だが「光を当てる」だけを切り取れば、美しい行為のようにも聞こえるが、光を当てれば当然、影もできる。
その影の残酷さが主人公に牙を剥き続ける映画だった。
行動する以上、何にも影響を及ぼさないのは不可能で、いくら中立であろうとしたり、真実を伝えようとしても誰かの何かが壊れてしまう。
真実だと思って追っていた事実が、実は自分を守るための虚栄でしかなく、正義を犠牲にした「善良」は結局、何も守ることができなかった。
河合さんの演技が凄い。嬉しい場面で「嬉しい」と言わずに、口の細かい動きでそれを表現。勉強ができないのを、姿勢や手を鼻に添えるクセでそれとなく伝える。言語以外の繊細な情報を持った素晴らしい演技。
瀧内さんとの掛け合いがホンモノの親子のようで、現場での良好な関係性が伺えた。
編集に関しては変なタイミングが多く、もうちょっと長く見たい部分や没頭しかかっているタイミングでとても短いカットバックが繰り返され、気になった。その編集なら最初からワンカメ長回しで撮って欲しい。
せっかくBGMを一切使わない手持ちカメラのドキュメンタリー風映画にも関わらず、「編集の手」を感じて興醒めだったものの、それも後から考えれば演出意図かもしれないなと。
劇中のセリフに
「後で、都合いいように編集繋げりゃ、いいだろ!」とあるように、どれだけ客観的に撮っても、編集で切られる以上、いくら没入しようとも真のドキュメンタリーではない。
監督は、編集された「映画」であることを観客に意識させることで、主人公にわざと没入や共感させないようにしていたのかもしれない。
突き放した先にあった「正義の墓場」に合掌。🙏