たまこたま

由宇子の天秤のたまこたまのネタバレレビュー・内容・結末

由宇子の天秤(2020年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

傷つけられた誰かと傷つけた誰かを知って、誰かの傷を庇って、自分も誰かを傷つけて、傷つけられた誰かは傷つけた奴を傷つける。
人間は誰かの加害者であり被害者でもあるという、同時多発的な、関係性による立場の切り替わりをまざまざと見せられた。それがリアルだった(だから、色んなところで声をあげて被害者面する奴が嫌いなんだと思った。声のでかい被害者はしばしば加害的である)。

ストーリーは、主人公が取材する被害者(遺族含む)とほとんど同じ状態に陥るという二重の構図で、それを突破する方法は何なのか、考えたが答えが出ない。主人公が身内の不祥事を隠したのには「失うものが多すぎる」という、至極合理的な損得勘定(タイトルにある通りの天秤)によってだったが、あそこで「いや、失ってでも、今事実を明らかにすべきだ」と行動していればどうなっただろう。少なくともメイが入院する事態を免れる可能性は高まるだろうし、主人公が危うく死ぬような事態には発展しなかっただろう。正直に告白しようとする父を自分勝手だと喝破したものの、本当の自分勝手は主人公かもしれない。しかし、確かに主人公の言う通り、失うものは当然多くある。

「世間」というのも1つのテーマになっていると思うが、世間とは一体何なのだろう。ネットで吊し上げる、学校で虐める、職場で噂を広める、その主体の総合体が世間であるなら、自分も世間に含まれる可能性もまた身近に潜んでいることになる。日常生活を送る以上人との関わりは不可避であるからだ。
世間を殺すには?と考えたが、非現実的かつ暴力的すぎるだろうか。世間体を守る事が美徳とされるこの国のコードについて、再考を促す映画でもあった。もうすこし、世間体の浄化装置があれば…。

この国はマジで生きづれえ、と改めて思いました。他の国も、こんなに世間世間言っているのか、本当に、切実に知りたいです。
たまこたま

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