このレビューはネタバレを含みます
冒頭からのタイトルコールの3分。
詩とともに流れ始めた景色が未だに脳裏から消えない。雑多だけど、どこか懐かしい永遠。
この3分で今まで"詩とは読むもの"という認識から外れ、もっと壮大で研ぎ澄まれる物体に変わる。
監督が本や朗読ではなく、映像にこだわる理由がなんとなく分かる気がする。
最初の短編である、"アリアとマリア"には2人の女優が登場するが、植物園であることを何の気なしに、会話劇が繰り広げられる。
友と私、母と私、男と私、その移り変わりが絶妙だった。きっと、主人公のアリアが狭い空間から逃げ出すためには人と折り合いをつけることではなく、自分を守るために自衛することだったのだと思う。
次の短編、"Blue Through"は"アリアとマリア"の続編のようにも感じた。
それはここでの主人公であるアイちゃんが、家出してきたアリアのように感じたからだ。
もっと遠くに行きたいと望むアイちゃんが名前も年齢も知らない男と旅をする話だった。どうしても独りよがりなアイちゃんが可愛くて好きだった。
ラストの"M"も制服を着た女の子が、自分のイマジナリーフレンドを大切していて、3編とも大きくずれることはなく、一貫していた。だから、短編集というよりかは長編作のようにも感じた。
受け取り手の眼差しが監督に近いかどうかで賛否を分ける作品のように思えるが、芸術作品として多くのひとに見てもらいたい作品でもある。