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眠る虫のKKMXのレビュー・感想・評価

眠る虫(2019年製作の映画)
4.3
 実に面白かった!理解は及ばないものの、心の深いところに届く作品で、自分のツボにバッチリとハマりました。なんとなくつげ義春を連想。

 主人公カナコはバスでたまたま乗り合わせた老婆の鼻歌が気になり、彼女に興味を持ち後をつけていきます。バスに乗り継ぎ、終点まで行くと、老婆は木箱を忘れていました。バスを降りるとすっかり夜になり、カナコは木箱を持って見知らぬ街で老婆を追いかける…というストーリー。


 序盤のバスのシーンが素晴らしいです。長回しでずっとバスに乗ってるシーンを撮る。意外なほど乗客の話し声や音楽の音漏れが聞こえてきます。この長い長いシーンが非常に豊かで、作品の世界に自然と入っていけました。作品の世界とシンクロするというか、境界が溶けていく感じがなんともタマリマセンでした。
 ストーリーテリングにおいて、この長回しは不要かもしれませんが、本作はそういう次元の作品ではないです。ただ物語るだけではない、特別な豊潤さを感じます。
 普通の映画でしたら、観手と作品が相対する構図が普通です。『観る』わけですから。本作はさらに『入る』が加わる感じです。共感するとかではなく、作品の世界の一部になるというか。その体験が新鮮でした。

 長回しが終わったあと、突如夜になるのもシビれた!カナコはバスに乗っているのですが、カットが変わると同じ状況で外だけが夜になっていた。この劇的な変容は、異世界に入ったことを伝えてくるようで、なんともドキドキします。
 そして夜の街をウロウロするカナコ。異世界なんですけども、現実ともつながっているようなので、記憶の世界なのかなぁと想像しました。記憶といっても、個人的なものだけではない、もっと普遍的な記憶というか…なかなか深いところに入っていったなぁと感じました。

 老婆と関連のある老人・近藤の家にたどり着き、カナコは近藤に木箱を渡します。中には石が入ってました。石ってのもなんだかユニーク。ただの石ではなく、老婆によって選ばれた石なので、そこには彼女の思い出など特別な意味合いを持つのかなぁと感じました。
 一方で、本作は人間以外の存在も並列で語られます。主体である人間が選択しているという構図からは逃れられないものの、それでも存在するものを平等に感じている印象を受けました。『あなたも私も、死者も生者も、石も木も植物も犬も軍手も、みんな存在しているね』みたいな、なんとも言えない平和な眼差しを感じるんですよね。すげぇいいんですよ、この感じが。

 本作でもっとも印象深いセリフは、閉店した喫茶店に向けて、近藤の「死んじゃった…いや、眠っているのか」とのつぶやきです。死は眠り。いつか目覚めるという連想も働きます。輪廻のイメージを感じますし、記憶の中に生き続けるとも考えられます。正直、よくわからないながらも、なんか深い真実の一部を語っているように直観し、グッとくるんですよね。


 このように、本作では対立構造が感じられず(死⇔生みたいな感覚がない)、ひとつの円のようになっているような印象です。生と死、現世と異界、作り手と観手、すべての境界がゆるく、フラットな感じでした。境界がゆるいため侵襲されて脅かされる可能性もあるのですが、そういった恐れは感じられません。バスで出会った席を譲るよう迫ってくる不気味な巨漢や突き放してくるコンビニ店員も、シュールなギャグとして描かれており、脅かされていません。巨漢の場面では、カナコは一旦逃げるも最接近までします!恐れよりも好奇心が勝っている精神的な健康さを感じます。

 境界のゆるさはリンチやアピチャッポンを連想しますが、金子監督は境界のゆるさが侵入の恐怖を生んでいるリンチよりも、境界がないから皆一緒と言ったアピチャッポンの世界に近い印象を受けました(目が光ったりとか謎の類似性も)。金子監督もアピチャッポンも、幽霊や死者が出てきても一緒に団らんしますからね〜。

 本作は言語化しきれず、その必要もない魅力に溢れていました。いやー、これはクセになるなぁ。


 鑑賞後、金子監督のトークショーがありました。金子監督は若い女性で、身振り手振りで直感的な語りをするユニークな方でした。カメラの方や音声の方も登壇していましたが、金子監督の独特な感性をキャッチしており、その関係性もあたたかで良かったです。金子監督は目に見えない現実をたくさん感じている印象で、それを一生懸命に伝えようとしているように思えました。そして本作も、まさにそんな作品。金子監督の作品は今後も追いかけていこうと思います。
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