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バビロンのSQURのネタバレレビュー・内容・結末

バビロン(2021年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

この映画、完璧な映画からは程遠い。100点満点で30点くらいだろう。そして、その-70点の部分こそが私の好きな部分だ。

まず、冒頭1時間くらいはかなり完璧な映画に近い。30点の部分だ。自分の人生の価値、信念に基づき、夢に向かって一直線に突き進む姿が、豪奢な音楽とアップテンポなカットの進行で移される。これはとーっても気持ちいい。否定しがたい快楽だ。そして、この猪突猛進な姿は『セッション』とテーマを共有している。弱者故に強者になろうと足掻く輝きは非常に眩しい。
しかし今回はその先がある。それは『セッション』に見られた、夢に突き進むことの光の部分と裏返し、非人道的で暴力的な部分に対する問い直しだ。途中でパーティに上品な感じで参加しようとして上手くいかないあたりは象徴的で、資本主義社会の中で「成り上がる」ことを夢にみつつ、完全に資本主義に乗っかることも出来ない。マニーが無理やり別れさせるシーンもかなり自己言及的な問い直しだと言えそうだ。弱肉強食社会の中で確実に(弱者の)人間性は疎外されてしまう

さて、この映画の面白いところは、映画自体がこの「夢を追求することの二面性」の問題に対する明確なアンサーを未だ掴みきれていないところだ。
答えを探し求めるかのように映画は後半に差し掛かるにつれて次第に迷走を始める。まずブラッド・ピットが演じるキャラクターの最期があまりにも使い古された"優等生的映画表現"であるところ。廊下を歩くシークエンスから扉越しのシークエンスまで全てが既視感に包まれている。歳をとり時代についていけなくても、一度夢やぶれても、もう一度立ち直って映画製作に向き合う、みたいな話にすればいい映画としてまとめられそうなのだが、この映画はそういう風にはできない。そういう安易な"良い話"を避けようとしたようにも見える。他には地下に潜るシーンなどは明らかにストーリー上必要無く、"でも映画的にはこういう無駄だけど雰囲気のあるカットがあると盛り上がるよね"という、即物的で陳腐であることを自覚した表現だ。他にもマニーとラロイの末路はいわゆるアメリカンニューシネマ的な破滅に至る物語を意図しているが、こちらでは先程の自殺のシークエンスとは違いあえてお決まりからずらしており1本の映画としてチグハグだ。そして、ラストシーンは『ラ・ラ・ランド』のラストシーンのセルフオマージュになっている。このように、この映画は本当に後半になるにつれて歪な形になっていく。
映像の勢いを評価して名作と言う人もいるだろうし、テーマの描ききれてなさをとって駄作と言う人もいるだろう。でも私はそういう、物語が制御下から離れ迷走し崩れていくところが良いと思う。
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