ボロロボ

バビロンのボロロボのレビュー・感想・評価

バビロン(2021年製作の映画)
3.9
大好きなチャゼル監督の最新作。
正直長尺にビビッていたが、思いのほか飽きずに楽しめた。まずポップコーンを先に平らげてから飲み物に手を付ける作戦も功を奏したようだ😁

パーティーというカオスな集い。上品だろうが下品だろうが、表社会だろうが裏社会だろうが、参加者個々人の滾る想いがその場でぶつかり合う。
※上品なパーティーは陰湿な腹の探り合いバトルみたいで、いい歳した僕でもこの手の集まりは苦手だ。
パーティーシーンを観てると、バズ・ラーマン版『華麗なるギャツビー』を思い出した。
パーティーを抜け出して興じるゲームには、危険な香りが漂う。

描かれる成功と凋落。
付け入る、掴みとる。
階段の一段目に足を乗せられれば勝ったも同然、か?

当作はノスタルジー溢れる単純な映画讃歌なんだろうか・・・僕にはそう思えなかった。ある意味すごくドライでシニカルなので、《讃歌》であり且つ《鎮魂歌》でもあるように思える。

初期の泥臭い手法は、イマドキ目線だとちゃんちゃらおかしいしブラックでもあるのだが、当時としてはそうするしかなくてクリエイターたちも参加者たちも必死だったんだ。技術的制約という自覚すらなくて、手を尽して創作する、それが仕事であり、矜持でもあったんだ。

技術の進化による表現力の向上。
ただしそれは、習熟や工夫が伴わない段階では、人間にとってかえって過酷でもある。それでも新しい表現手法でアウトプットするために、クリエイターたちは手間を惜しまず犠牲も厭わない。それは正に《戦い》だ。

創作というお仕事における闇と光。
僕も似たような仕事をしているせいで、心にぐさりと刺さるものがあった。それは決して心地良いものではなく、単純な感動でもなく、とても痛々しく苦々しい。

一線を退いてから気付くこと。
果たして僕にもそんな時は来るんだろうか。

ファム・ファタールは実にファム・ファタールだった。
イタリア系、メキシコ系(チカーノ)、アフリカ系、アジア系、ドイツ系、ハンガリー系と、移民の国アメリカらしいルーツの多様性。
ブラピがイタリア語をしゃべると、『イングロリアス・バスターズ』のレイン中尉役を思い出しちゃうのでどうしても笑っちゃう😆
マーゴット・ロビーは見てくれだけではないスキルフルな女優だ。恐らく歴史に名を残すと思われるとんでもない女優さんと同じ時代を生きられることに感謝。

監督の過去作同様に、オハナシに寄り添うステキな劇伴。とても好みだ。ピアノ、サックス、トランペットが切なく鳴り響く。サントラはしばらくヘビロテかな。

凝っているカメラワーク。
長めのワンショット。シーン設計が緻密じゃないと成立しなさそうな箇所が多いように思った。
回り込んだり、あえてグラつかせたり、素早くパンさせたり。

初期の屋外ロケは、まるで見世物小屋のようでもある。ネリーの演技が炸裂する隣で火災が起きる、という不穏な演出。不穏な演出といえば、ジャックにもあった。

チャゼル監督は、単純なハッピーエンド作品は撮らないんだろう、きっと。
監督インタビューによると、当作は【『ラ・ラ・ランド』のいとこのような作品】らしい。

冒頭に登場する象は見事なメタファーだ。デカくて、重くて、ヒトの思い通りには動いてくれず、大量のエサが必要で、大量の排泄物をぶちまける。そんな厄介な獣に対して、ヒトは注目し畏怖し愛でたり神聖化したりする。パーティーシーンの象はCGらしい。ナルホド。
振り返ってみれば、序盤(=象運搬+パーティー+宴の後)で当作の全てが語られていたみたいだ。

当作ではウンコとゲロにご注意を。
Piece of shit

各登場人物にモデルがいそうだなあ、と思っていたらやっぱりそうだった。その辺の情報を補強したい方にはパンフレット購入をオススメ。パンフレットの装丁もどことなくバズ・ラーマン版『華麗なるギャツビー』風だ。
ボロロボ

ボロロボ