ゆかちん

バビロンのゆかちんのレビュー・感想・評価

バビロン(2021年製作の映画)
3.1
狂乱の後のしっぽりな余韻、嫌いじゃない。

酒池肉林というのか、悪趣味で下品な描写とか多々あったけど、音楽がかっこよくて映画全体のリズムとなり、テーマも相まってなかなか良い余韻をもって終わったので、結構楽しめた作品となりました。

同じ監督とはいえ、ラ・ラ・ランドとは全然違うやろ〜て思って見始めたけど、観終わってみれば、ラ・ラ・ランドと同じ感じだな〜と思った笑笑。
ジャズをベースにした音楽が映画の軸となり引っ張っていくとことか、テーマとしては普遍性のあるものだったりすることや、ラストの終わり方とかが。

映画讃歌!
映画という概念(エンタメ)や作品を愛しているんだなと。
でも、映画人や業界人については、そんな良く描いてないという。それもいいかな笑。
皮肉もあるんだろうかね。

そして、ブラッド・ピットは第一線を引くつもりなのかなぁ〜誰かにバトンを渡すときがきたのかなぁ〜という寂しさみたいなのを感じたのがグッときた。

そして、今ある映画も大きなものの一部なんだね!というのもジーンとね。
1人の役者、1人の映画制作者、1人の観客と観れば小さくて一喜一憂悲喜交々だけど、その営みが時代を渡って、多くの人を巻き込んで、大きな「映画」となって過去から未来へ繋がっていくんだなぁと。




1920年代のアメリカ・ハリウッド。
スターを夢見る新人女優のネリー(マーゴット・ロビー)と映画製作を目指す青年マニー(ディエゴ・カルバ)は、大スターのジャック(ブラッド・ピット)が開いたパーティーの会場で出会い、親しくなる。
恐れを知らないネリーはスターへの階段を駆け上がり、マニーもジャックの助手となる。
そのころ、映画業界はサイレント映画からトーキー映画への転換期に差しかかっていたーーー。



サイレントの時代の撮影の仕方びっくり。
ほんまなんかなwめっっちゃカオスw
chaos!
エキストラ死んでもたとか含めてぶっ飛んでた。
ここのパートは、サイレント時代のコメディ映画を意識してたのかな。そういうコミカルさがあった。

そこからトーキー映画へ。
音声が出ることで世界が広がり、良いことばかりだと思ってたけど、撮影時に雑音を気にしないといけないとか、仕事無くなる人がいるとか、それはそれで大変なんだなと。
特に、セリフを声に出していうことで、俳優の中でも向く人と向かない人が出てきたというのに驚き。でも、考えてみたらそうだよね〜。
そういう、映画の大改革と変遷を見て、歴史を学んでいるようでもあった。


【この映画から感じた主なもの】

●栄枯盛衰・時代の流れ・バトンを渡せるのか?

トーキー映画の時代になり、合わない人は淘汰されていく。
うーむ。厳しいけど、全時代、全部のものについて言えること。

最初、ブラピ演じるジャックは、ビバリーヒルズの老人たちが時代モノばかり取り上げて、「自分たちの良かった昔を懐かしんでいるばかりで良くない!革新が必要!」みたいなことを言っていた。
それが、最後の方、「サイレント映画の時代に戻りたい?」という問いかけられるところに繋がる。
ジャックは、その時、「そんなことはない。変化していくべきだ」という感じで答えてたけど、その表情は寂しげで、しみるものがあった。
ブーメランきたー!て感じやなと。

これ、映画もやし、他にも言えること。
そうやってドンドン進化して革新して時代は変わっていく。
時代に合わなければ置いていかれる。
時代についていくのか、自分の時代のものとともに沈んでいくのか。

また、何事にも全盛期・ピークがあり、ピークが過ぎれば後は次の人に任せていくことになる。
この話をライターがジャックにしてるの、ううむ、となった。

ブラピ、相変わらずハリウッド映画の大作で主役してるし、しかも、いまだにかっこいいイケメン役。てことで、本人は思いっきりこの原理に逆らってるw
でも、ブラピ本人としてはバトンを渡す時かもしれないと思ってるのかな〜。
その演技がしんみりしてめっちゃ良かった!
最後、お店?の若いスタッフにチップを渡し、未来は君のものだ!と言ったのとか。
あの階段を登って部屋まで歩く背中の寂しさがたまらんかったな。
ブラピやるやーん!てなりました笑。

ジャックはそれを受け入れ…きれず、その後の身の振り方をああしたわけだけど。
でも、この話をしたライターを通して、この映画はそのことが必ずしも悲しいことだけではないとも言うてる。

淘汰されて次へ移っていくことは仕方ないこと。自然の摂理といえるほどに。
そんな中で、全盛期を楽しめたことは幸運なことじゃないか、と。
また、映画や芸術とかに関しては、本人が全盛期を終えたとしても作品はその時のままのものが詰まってて、いつの時代になっても皆が観れる。
本人が亡くなった後でさえも、後の時代の人がその人の映像を見て感動することができる。
それは素晴らしいことだし、その特権を得たことは幸せじゃないかと。

確かに〜!

今まさに全盛期のマーゴット・ロビー。
彼女もいつかはピークが過ぎてバトンを渡すんだろうなぁ〜、でも、この瞬間の輝きはこうして残っていくんだな〜というのも感じた。


●映画〜大きなものの一部になりたい〜

マニーはネリーと初めて話したときに何がしたいかと聞かれ、自分は大きなものの一部になりたいと答えた。
それがラストシーンに繋がったのをみたときはちょっと奮えた。

彼はあの時から良いことも悪いことも、トラウマなことも沢山あった。
今の彼は十分幸せそうだったけど、彼自身引きずるものがあり、少し悔いというか後悔というか。映画界では中途半端に逃げ出したし、何か残したり大きなことを成し遂げられず去ったとも考えていたように見えた。

でも、あのラストシーン。
その時やっていた映画を見ることにより、願いの通り、自分は「大きなものの一部」になれていたのだと感じたようだった。

マニーが関わって作ってきた映画たちが、今、彼が見ている映画に繋がっていて、今、彼が見ている映画は今後の映画に繋がっていく。
最後、画面を見ている主人公の顔と、彼が経験したことのフラッシュバック、そして、彼が見たかはわからないけど、「『映画』の中で革新的な作品たち」の一部がパラパラパラと流れるのが、とても良かった。
ニューシネマパラダイスみたいやった。わざとかな?

確かに、今観てるこの作品も大きなものの一部で、これまでの映画があったからできたもの。そして、これからの映画に繋げる作品になるんだなぁと。

一人ひとり、一つ一つは、その時代が過ぎたら…みたいなものもあるけど、視野を広げて大きく観たら、こういう意義があるのかとなる。

うむ。
監督や作り手達自身、自分に言い聞かせているようでもあり、これまでの映画の作品達への讃歌・感謝にも思えた。


あと、マニーとネリーが最初映画について話してた、「映画はクソみたいな現実を忘れられる」「逃避できる場所」「何にでもなれる場所」みたいな話をしてるのも、映画の価値というか、そういうのを改めて提示しているなと思った。


●ハリウッドの変化と地に足がついていたトランペット奏者

1920年代のゴールデンエイジ?の時代のハリウッド。ぶっちゃけ倫理的に良いのかはわからないけど、自由はあった。
それに対して、トーキー映画後、段々とハリウッドは格式みたいなのを重要としだし、人種差別も嫌な感じで見えてきた。
白人至上主義みたいなのがより強くなってきたというか。それ以外は格下みたいにしだしたというか。
どこかの貴族みたいなやつ?w

時代は変わるし、それに乗らないのなら淘汰されるというのはあるけど、そういう時代のものが全て正しいかは別。
その違和感に中指立てて自分を貫き、あえて外れていったのが、ネリー。

そして、メインの3人ではなかったけど、この物語にずっと出て、一番軸のある生き方をしていた黒人ジャズ・トランペット奏者のシドニー・パーマーもそう。
狂乱と怒涛の時代に落ち着いて生きていたのは彼だけだったのかなと。
自分を理解して、時代の波に巻き込まれつつも軌道修正をして自分らしく生きていたのは、彼なのかもしれないね。
彼の存在と演奏が、メインの3人の生き方と対比されているようで良かった。


【役者さん】

ブラピの演技がとても良かった。
憂いも似合ってて。
憂いはあるけど、哀れにならないのがブラピだな笑。
その辺、ディカプリオは哀れにもなるのか。

マーゴット・ロビー良かった!
ネリーの役は彼女しかできないね。
ネリーの刹那的な生き方は眩しくも儚くも切なくも哀れでもあった。
マーゴット・ロビーはまさに全盛期だな。
こういう破天荒で無邪気で魅惑的な女性がピッタリ!
でも、こういう役ばかりな気もする。
当たり役というのはわかるけど、他の演技もしたくならないのかな?
ドーナル・グリーソンとやったクリストファーロビンの映画は少し違う役やったけど。
まあ、こういうの待ってる人も多いんやけど。

マニー役のディエゴ・カルバ良かった!
めちゃカッコ良かった!
メキシコ移民でボソボソとしてた時から、夢見て成り上がっていくと華やかでシュッとして。LAから離れた後は老けてダサい感じになってるという変化。
ラテン系の人って、華がありますよね〜。

シドニー・パーマー役のジョヴァン・アデポも良い。
あと、レディ・フェイの存在も効いてたな〜。同性愛者の点も多様性〜。

そうそう、ジャックの妻の1人に、ファンタビのティナ役のキャサリン・ウォーターストンがいたし、レッチリのフリーもスタジオの重役で出てた。
レッチリのフリー、映画で何回か観たことあるけど、まともな演技初めてみたかもw
レッチリの来日チケット取らんかったなー。

そして、トビー・マグワイア!
トビーが悪役というか、変な役というか、気持ち悪い役というか、イカれてる役というか…以下略…そういうのやってるの初めて観たかも!笑。
好青年なやつしか見たことないわ。

や、こういうのもかなりいけるんじゃね?w

ブラピは全盛期を終えて次に渡そうとしているのかと思える演技だったけど、トビーは新しい扉を開いたみたいで、また始まるようにも思えたw
でも、またスパイダーマンのスーツ着てもええんやで。

そんなこんなで、色々余韻の中で見えてくるものがあって楽しめた!

性描写や血みどろ汚物グロ、人の命軽っ!など、好きではない表現もありつつ、良い音楽と華やかな映像と切なさと希望のある余韻で押し切ったな〜という感じ。
こういう、しっぽりジワっとくる余韻は、ララランドと同じやね。

てか、デイミアン・チャゼル監督、セッションもやんね。
あの映画、音楽の良さと演技の迫力、映像の見せ方はよかったけど、何が言いたいのかよくわからん作品やったw
でも、対峙するシーンとか、ララランドに似てる印象あったり、今回も他の作品感じるところあったから、クセ!がでる監督でもあるんかな。
ゆかちん

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