kkkのk太郎

バビロンのkkkのk太郎のネタバレレビュー・内容・結末

バビロン(2021年製作の映画)
2.6

このレビューはネタバレを含みます

サイレント映画時代のハリウッドを舞台に、夢と野心に燃える映画人たちの栄華と衰退を描き出したヒューマン・ドラマ。

監督/脚本は『セッション』『ラ・ラ・ランド』の、オスカー監督デイミアン・チャゼル。

ハリウッドの大スター、ジャック・コンラッドを演じるのは『セブン』『オーシャンズ』シリーズの、オスカー俳優ブラッド・ピット。
女優を夢見る奔放な女性、ネリー・ラロイを演じるのは「アバウト・タイム 愛おしい時間について』「DCEU」シリーズのマーゴット・ロビー。
ハリウッドを牛耳るギャングのボス、ジェームズ・マッケイを演じるのは『スパイダーマン』シリーズや『華麗なるギャツビー』のトビー・マグワイア。なおマグワイアは本作の製作総指揮も担当している。
ジャックの再婚相手であるブロードウェイの女優、エステルを演じるのは『ファンタスティック・ビースト』シリーズや『mid90s ミッドナインティーズ』のキャサリン・ウォーターストン。
ネリーのライバル的女優、コリーン・ムーアを演じるのは『スリー・ビルボード』『ガンズ・アキンボ』のサマラ・ウィーヴィング。
ジャックの妻、イナを演じるのは『TIME/タイム』『her/世界でひとつの彼女』のオリヴィア・ワイルド。

第80回 ゴールデングローブ賞において、作曲賞を受賞!

古代バビロニアの中心都市バビロン。そこは「大淫婦」と称される繁栄と退廃の都だった。
本作で描かれるハリウッドは、まさにこのバビロンの如き混沌の坩堝。光に群がる虫のように、夢と栄光という黄金に誘われてやってきた人間を幽囚にする魔境である。

当代きっての名匠デイミアン・チャゼル監督は、都会的で洗練された、どこかデタッチメントな雰囲気を醸す筆致によって1920年代の黄金郷を見事に現代に再現してみせた。
過剰なまでに華美で露悪的な世界観はリアリティがあるとは言い難いが、監督の目指しているのは現実の再現というよりは人々が持つイメージの再現なのだろう。
「こうだったんじゃないのか?」「こうだったらエキサイティングだよな」という観客の夢を具現化しており、この夢物語の中で観客を3時間以上も遊ばせてくれる。
本作は舞台美術や衣装などの細かなディテールや、ジャズを基調としたクールな劇伴を思う存分味わいたいという観客には大変喜ばれることだろう。

チャゼル監督は、「夢を掴むための犠牲」と「女のいない男たち」を一貫して描き続けている。
本作でもそれは健在で、「夢」を叶えるための覚悟を観客に問いかけた上で、仮にそれを叶えたからといって幸福になるとは限らないことを提示する。
彼が紡ぐのはきまって残酷な物語なのだが、今回はより一層悲劇的で皮肉なものになっているように思う。

彼の作風のもう一つの特徴はエンディングのキレの良さ。
これは彼がまだ映画監督になる前、脚本家だった時代の作品にも見て取れる特徴であり、『ラスト・エクソシズム2』や『グランドピアノ 狙われた黒鍵』といった、作品自体の出来は「う〜ん…」といいたくなるようなものでも、そのエンディングははたと膝を打ってしまいたくなるような出色の出来である。

今回のエンディングも、優しさと映画に対する愛が詰まった素晴らしいものだった👏
偉大なことを成した者も、道半ばで息絶えた者も、全ては大いなる流れの一部でしかない。いままでにも増して非情で悲劇的な映画だったからこそ、このエンディングで救われたような気持ちになれた。

天才デイミアン・チャゼル。彼が撮るのだから最低限の品質は保障されている。箸にも棒にも引っかからない映画では断じてない。
その上で言いたい。

………ながいしつまらなかった(ボソ。

いやこれ、あまりにも長すぎやしませんか?「あぁ。もうそろそろクライマックスだな…」と思って時計を見てみるとまだ2時間しか経っていない。ここからさらに1時間もあるのかよっ!?と絶望的な気持ちになってしまった。
こんだけ長けりゃ、面白かった場面も色褪せちゃうっつーの。

本作は3人の登場人物をそれぞれ主人公にして描くアンサンブル映画。
正直いってこれが帯に短し襷に長しといいますか、無駄に長いのにも拘らず語りが足りていない。

冒頭のパーティーシーンや破茶滅茶な映画撮影シーンなど、一つ一つがメガ盛りマックスって感じの長さなのに加え主人公が3人もいるからまぁ物語の進行が遅い。そりゃ3時間超えるわ😅
だがしかし、190分は長いとはいえ、3人の栄光と挫折を描き切るには十分な時間とはいえない。
最も気になったのは映画人を夢見るメキシコ人・マニーのパート。ジャックの付き人だった彼が映画会社の重役に登り詰めるまでの過程がぶっ飛ばされているから、「えっ、いつのまに?」感が否めない。

ジャックに関しても、彼の遺作となったクソ映画がどのくらいクソな作品なのか映像として見せて欲しかった。
また、袂をわかったマニーのことをジャックがどう思い何を感じていたのかも描かれていない。師弟の確執なり対立なり和解なりは描いて然りなのでは?

ネリーに関してはレディになる為の特訓描写が一切描かれていなかったので、社交界をぶち壊すという一連のシーンも「そりゃネリーならそうするわな…」という感じで観てしまい、なんだか上滑りしているような印象を受けてしまった。

多分これ、ドラマ向けの脚本というか物語なんだと思うんです。尺が1話1時間で1クールあれば、十全に描き切れたのかも知れないが、一本の映画に纏めるにはちょっと厳しかったんじゃないの?

長すぎるランタイムと同じくらい気になったのは、後半マニー&ネリー編とジャック編の温度に差がありすぎたこと。
我が世の春が過ぎたことを知ったジャックが拳銃自殺するというトラジックでリアルな展開と、ギャングに偽札を渡してしまって大騒動を巻き起こすというコミカルでシュールな展開。この2つが並列的に進行するので、一体どういう感情で映画を鑑賞すれば良いのかよく分からん。
第一、この映画は1920年代ハリウッド残酷物語のはず。ギャングに偽札渡して破滅するって、それ1920年代もハリウッドも殆ど関係ないじゃん。
荒唐無稽な映画にしたいのであればもっとコメディ寄りに作るべきだし、純文学的な映画にしたいのであればもっと写実的な展開で物語を進めるべきだったのではないだろうか?

大便、小便、ゲロといった汚物や乱交パーティーが盛りだくさん。
とにかくドギツい要素がてんこ盛りだが、それら全てがあんまり汚く映っていない。
都会的で洗練されているのがチャゼル監督の持ち味ではあるが、ここはもっと汚く映して欲しかったところ。
絢爛豪華な夢物語的世界観を強調したいのであれば、汚かったり残酷だったりする描写はありのままスクリーンに映し出すべき。なんか気取ってる感が拭いきれていないんだよな〜…😑

とにかく、キャリアが進むにつれてどんどん冗長な映画を撮るようになってしまったチャゼル監督。
『セッション』の頃を思い出して、100分くらいの映画をサクッと作って欲しい。本作だって、もっと的を絞って物語を紡げば120分くらいで描き切れるだろうに。
パッと夜空に散る花火のような、景気の良い映画が観たいっす。
長けりゃ良いってもんじゃないよね。。。
kkkのk太郎

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